「ゆうゆう窓口」タグアーカイブ

大分 竹田郵便局 風景印

〒878-8799
大分県竹田市竹田町97-2

使用開始年月日:1952(昭和27)年4月1日
荒城の月 岡城址

「荒城の月」は、土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲による歌曲ですが、瀧廉太郎が小学校時代を過ごした富山市の富山城、同じく大分県竹田市の岡城址から曲の着想を得たとされ、それぞれ富山城西側、岡城址に歌碑と廉太郎の銅像が設置されています。

竹田市にある豊後竹田駅(岡城訪問の際の最寄り駅)では、列車が到着する際の接近メロディとして歌詞付きでこの曲が流れます。
岡城の下を走る国道502号の上り車線にはメロディ舗装がなされた区間があり、車が通過すると荒城の月のメロディが聞こえるようになっており、岡城からでもその音を聞くことが出来ます。
通過する車のスピードにより、音程が高く聞こえたり低く聞こえたりするのは面白いです。

岡城の話ですが、現在の大分県竹田市大字竹田にあった山城で、「臥牛城(がぎゅうじょう)」、「豊後竹田城」とも呼ばれています。 伝承では、1185(文治元)年に緒方惟義が源頼朝に追われた源義経を迎えるために築城したことが始まりだと言うことです。

現在は石垣を残すのみで建物は遺っていません。

岡城址を訪問後、竹田局に立ち寄り、押印をお願いしました。
とても丁寧に対応して下さって、嬉しかったです。

神奈川 小田原郵便局 風景印

〒250-8799
神奈川県小田原市栄町1-13-13

使用開始年月日:1960(昭和35)年9月26日
小田原城天守閣 ウメ

小田原城は、神奈川県小田原市にあった、戦国時代から江戸時代にかけての平山城で、北条氏の本拠地として有名です。
北条氏時代の天守は独立式望楼型でしたが、1633年の地震により倒壊。

その後、何度か天守が建てられたようですが、火災や地震により倒壊・消失してしまったそうです。

現在の天守のモデルとなる天守が建てられたのは1706年、当時の城主大久保忠増が建てた天守で、複合式層塔型3重4階のものでした。
幕末までこの天守は存在しましたが、1870年~72年にかけて城内のものはほとんど取り壊されてしまい、天守台には大久保神社が建てられていたそうです。
その後、関東大震災により天守台が崩壊。
1953年、小田原市制の施行20周年記念事業で天守の復興が計画され、現存している旧天守模型を元にし、天守の再建工事が行われました。天守が再建されるまでの間、天守台には観覧車が置かれていたんだそうです。1960年5月25日、天守の再建工事が完成。ただし、再建した天守は鉄筋コンクリート構造によるもので、小田原市当局の要望により天守最上階に高欄が取り付けられ、天守の本来の姿を忠実に再現するものではないそうです。

Mさんが現地より送って下さいました。シンプルですが、素敵なデザインだと思います。ありがとうございます。

 

兵庫 洲本郵便局 風景印

〒656-8799
兵庫県洲本市本町3-1-34

使用開始年月日:1980(昭和55)年4月24日
洲本港 洲本城址 カモメ

洲本城(別名 三熊城)は、兵庫県洲本市(淡路島)にある、標高132mの平山城で、国指定史跡となっています。
続日本100名城にも選ばれています。

現在ある洲本城は模擬天守ですが、1928年(昭和3年)に昭和天皇御大典記念として、総工費1万円で建造された鉄筋コンクリート製のもので、四層四階の層塔型の模擬天守となっています。
ただし、模擬天守としては日本で最古だとか。。。

まだ城址には行ったことがありませんが、とても眺めのいい所なので、天気のよい日に行ってみたいです。

Nさんより頂戴しました。
こちらも2.3.2.3で語呂のいい日です(*^-^*)

新潟 高田郵便局 風景印

〒943-8799
新潟県上越市大手町3-21

使用開始年月日:2001(平成13)年10月22日
三階櫓 蓮見橋 ハス
外枠 サクラ

高田城は、高田平野にある菩提ヶ原に築かれた平城で、徳川家康の六男、松平忠輝(越後少将家)の居城として天下普請によって造られました。天守はなく、1614年に3重3階の三重櫓を建てて天守の代用としたそうです。
当時の三重櫓の外観は不明で、江戸城の富士見櫓に似た外観であったと伝えられている。
現在の櫓は上越市発足20周年記念事業として、焼失した三重櫓を1993年に復興したものだそうです。新潟県指定史跡に指定されています。

今年の城の日はこちらの局に郵頼してみました。
2.4.6なんだか語呂もいいです(*^-^*)

茨城 牛久郵便局 風景印

〒300-1299
茨城県牛久市中央3-5-2

使用開始年月日:1985(昭和60)年8月1日
牛久沼の風景 河童の碑 筑波山

牛久沼は牛久市の南西に位置し、筑波・稲敷台地と猿島・北相馬台地に囲まれ、流は小貝川につながっています。 沼のまわりには つくばみらい市、つくば市、牛久市、龍ヶ崎市、取手市が隣接していますが、湖沼面は龍ヶ崎市に属しています。
なんと、うな丼の発祥の地と言われているそうです。

牛久沼には河童の伝説が沢山あるそうです。
そんな牛久沼をこよなく愛した画聖「小川芋銭」が晩年、牛久沼のほとりに建てたアトリエ「雲魚亭」(現在は小川芋銭記念館)。そこ
から程近い場所に「河童の碑」は建てられています。

芋銭の生前の数々の偉業を讃えるために昭和26年に芋銭の友人「池田龍一」氏が中心となって建立されました。碑の正面やや左側には河童の絵が描かれています。これは、現二科展会員「中村直人」氏が監修し、「八柳恭次」氏が描いたものです。
正面右側には『誰識古人画龍心(だれかしるこじんがりゅうしん)』の文字が刻まれています。これは、何故河童を描くのかとの問いかけに芋銭が答えた言葉だそうです。

長野 長野中央郵便局 風景印

〒380-8799
長野県長野市南県町1085-4

使用開始年月日:2012(平成24)年10月1日
善光寺の本堂 長野駅前の如是姫像

駅前にある如是姫像は善光寺の方向を向いているそうです。

どうやら、善行寺と繋がりがあるようです。
以下は像に設置されている説明書きです。

善光寺縁起によると、昔、天竺(インド)の毘舎離国に月蓋という長者がおり、掌中の玉として大変可愛がっていた一人娘の如是姫が、あるとき流行した悪疫にかかりどんな治療をしても治らなかった。
日頃ケチな上に、不信心で釈迦が托鉢にきた時でさえ何も差し上げなかった長者だが、娘の命を助けてくれてと涙ながらに釈迦におすがりした。
釈迦は西に向かい南無阿弥陀仏と唱えるように諭され、長者は教えに従い一心に御名を唱えると、阿弥陀さまと弟子の観世音と大勢至の三像が西の門の上に現れ光を放ち、その光が如是姫の枕元に届くと病気は回復した。
この像は、如是姫が病気の回復を感謝し善光寺如来に香花を捧げ礼讃している姿である。

そんな由来があるそうです。

長野へ旅行へ行かれたKさんより頂いたものです。ありがとうございます(*^-^*)

静岡 浜松郵便局 風景印

〒430-8799
静岡県浜松市中区旭町8-1

使用開始年月日:1990(平成2)年10月29日
浜松城を描いた凧 音符
外枠 ウナギ

浜松市はヤマハやカワイ、ローランドといった世界に名立たる楽器メーカーが立地し、楽器のまちとして知られています。
また、ウナギの養殖発祥の地でもあります。
そして、歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」と言われた浜松城。

風景印の中にギュっと浜松が詰め込まれていていいですね。

茨城 茨城郵便局 風景印

〒311-3199
茨城県東茨城郡茨城町大字小堤1021-1

使用開始年月日:1974(昭和49)年10月20日
舟に乗った釣人 水戸八景の広浦秋月の碑

水戸八景とは、水戸徳川家第九代藩主斉昭公が、1833(天保四)年に水戸藩内を巡視し八つの景勝地を選定したものです。
選ばれた地には、斉昭公自筆の碑が建てられました。

涸沼(ひぬま)の湖畔に石碑が建てられています。
2つあるうちの右側に「廣甫秋月」と書かれているようです。
「広浦」は、当時の地元民による涸沼の呼称だそうです。かつてこの地は砂州で、周囲には老松が茂り、涸沼の湖面、西に筑波山の眺望があったとか。
「広浦秋月」碑の左側は、水戸八景選定経過等を記した副碑「保勝碑」なのだそうです。「

今年の国体が開催される茨城県。
国体のキャラクター、「いばラッキー」が描かれています。
Iさんより頂戴しました。ありがとうございます!

新潟 新潟中央郵便局 風景印

〒950-8799
新潟県新潟市中央区東大通2-6-26

使用開始年月日:1968(昭和43)年6月15日
万代橋 新潟港 船舶 県花・チューリップ

万代橋(萬代橋/ばんだいばし)新潟市中央区の信濃川に架かる橋で、国の重要文化財に指定されています。
新潟市の信濃川に架橋された初めての橋で、1886(明治19年)に初代が竣工された。

現在の橋は3代目で、1929(昭和4)年6月に竣工。
側面に御影石(花崗岩)の化粧板を施した6つのアーチを連ねる鉄筋コンクリート橋です。
昭和時代初期における大規模なコンクリートアーチ橋の貴重な現存例であり、新潟市のシンボルとして、またランドマークの1つとなっているんだそうです。

ご旅行に行かれたTさんより頂戴しました(*^-^*)
ありがとうございます!

石川 松任郵便局 風景印

〒924-8799
石川県白山市八ツ矢町609

使用開始年月日:1998(平成10)年10月10日
俳人・加賀千代女と代表作の句 つるべ 朝顔 白山

加賀千代女(かが の ちよじょ、1703(元禄16)年 – 1775(安永)4年)は旧松任市(現白山市)出身の俳人です。
朝顔を多く詠っていることから、白山市の市花に選ばれています。

朝顔の切手に合わせて押印をお願いしました。