東京 東京流通センタービル内郵便局 風景印

〒143-0006
東京都大田区平和島6‐1‐1

使用年月日:1995年(平成7)3月3日~2017年(平成29)8月30日
流通センタービルA・B棟 東京モノレール
首都高速平和島クローバーチェンジ
外枠 ウメ

東京流通センターは、大田区平和島にある物流センター、およびそれを運営する企業です。
敷地内に4つの物流ビルを持ち、このうち先に作られたA棟・B棟は地上6階建て・延床面積が約17万平方メートルで5トントラックまでの車両が自由に行き来できる仕様(ダブルランプウェイ方式)となっています。
また道を1本隔てた場所には延床面積約36000平方メートルのC棟、同8700平方メートルのD棟があります。

この度、B棟が立て替えられ、7月に完成したため、風景印が変更されました。

使用開始日:2017年(平成29年)9月1日
東京流通センター物流ビルB棟(物流倉庫) 東京モノレール 
八重桜
外枠 サクラ

旧印はA・B棟が描かれていましたが、B棟だけになり、ウメがサクラに変わっています。

流通センターは、構内で働く方々、近隣そしてモノレールから見える風景に、季節感をとどけたいという願いを込め、1972年に八重桜を中心に250本 植樹され、今では約300本の桜に囲まれる名所になっているんだそうです。

和の食文化シリーズ 第3集 絵入りハト印

和の食文化シリーズ、今年で3集目です。
今年も初日印を貰ってきました。

<機械印>

<手押し印>

なんと切手に文字が隠れていました!今までも文字が隠れていたことはありましたが、今回、難易度高かったです。

しらすには気が付いたのですが、、、

後から色んな話を聞くと、さけ、うめ、こんぶにも隠れていました。最初は聞いても見つけられませんでした(;^_^A

すごいシレっと隠れてます!面白いアイディアですねぇ。

愛媛 今治東門郵便局 風景印

〒794-0033
愛媛県今治市東門町1-7-43

使用開始年月日:1999年(平成11年)5月20日
来島海峡大橋 今治城

今治城は1602年(慶長7年)藤堂高虎によって築城開始され、2年後に完成しました。
三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ直接船で入ることができるなど、海を最大限に活用した城となっています。日本三大水城の一つに数えられています。

図案に描かれているのは天守(右側)と御金櫓(左側)でしょうか。

この天守、当初の建築の実在について明確な資料が少ないそうで、史実に基づかない模擬天守なんだそうです。
御金櫓も再建です。1985年(昭和60年)に東隅櫓が御金櫓として再建されました。
外観は今治藩医の半井梧庵が残した写真をもとにしたそうです。名称は今治城の古絵図において東隅櫓に御金蔵という蔵が併設されていたことに因んでいます。

天守最上階から来島海峡大橋を望む。。。
なんだけど、曇っていてかすかに見える程度ですねぇ(;^_^A

お堀の水は海水なので、色んな海の魚が泳いでるんですよ。っと局長さんがお話ししてくれました。

JR四国 第23回「アンパンマン列車スタンプラリー」阿波池田駅 スタンプ

JR四国では、今回で第23回目となる「アンパンマン列車スタンプラリー」を3月18日から10月 1日まで開催していました。
駅16か所、アンパンマン列車車内、各県のレジャー施設などでスタンプが設置されていました。

2017.9.29

大歩危から多度津まで行く観光列車に乗り、途中、記念撮影などをするために立ち寄った駅です。停車時間は10分ほどでした。

記念撮影などはそっちのけで大急ぎで改札へ行くと、このスタンプの他、駅スタンプ、そして今は無人となってしまった他の駅のスタンプも管理しています。なんてお知らせが書かれていたりして・・・

他にもこのスタンプや駅スタンプを押しに来ていた女子たち順番に押していたら、ほとんど時間はありませんでした(;´Д`)

 

埼玉 北吉見郵便局 風景印

〒355-0104
埼玉県比企郡吉見町地頭方451

使用開始年月日:2010年(平成22年)8月2日
吉見町のシンボル イチゴの花
外枠 イチゴ

Kさんより頂戴しました。
デザインがイチゴ一択だってことからもわかるように、イチゴの生産(主にとちおとめ)が盛んなんだそうです。

リラックマのイチゴの切手を合わせて頂いてます(^^)

貯金印もイチゴが!

Kさんありがとうございました(*’▽’)

JR四国 第23回「アンパンマン列車スタンプラリー」松山駅 スタンプ

JR四国では、今回で第23回目となる「アンパンマン列車スタンプラリー」を3月18日から10月 1日まで開催していました。
駅16か所、アンパンマン列車車内、各県のレジャー施設などでスタンプが設置されていました。

愛媛 大洲若宮郵便局 風景印

〒795-0063
愛媛県大洲市田口甲7-3

使用開始年月日:1993年(平成5年)3月25日
「おはなはん」のブロンズ像 ツツジ 冨士山

「おはなはん」は、NHK連続テレビ小説の第6作です。1966年4月4日から翌1967年4月1日にかけて1年間放送されました。
明治中期の愛媛県大洲市出身の茶目で明るい主人公・林ハナ。
軍人とお見合いで結婚し子供も授かったが夫は病で他界してしまい、女手一つで子供たちを育てながら、幾多の困難を乗り越えて成長していく姿を描いた作品です。

おはなはん・・・知りませんでした(-_-;)
NHKのドラマは疎くて・・・局の方が説明して下さいましたが、あまりわかっていませんでした(;”∀”)

他にも大洲出身で有名な方が、駅前におられました。

青色発光ダイオードの発明をした方です。大洲のご出身だったんですね。勝手に徳島だと思っていました。

それは置いといて、、、後ろの山は富士山?!
点が一つ足りませんね。。。

大洲盆地中央にそびえる「冨士山」は、「とみすやま」と読むそうです。
その姿が富士山に似ていることから名付けられた標高320mの山です。
日本有数のツツジの名所として有名で、毎年4月下旬~5月には6万3000本のツツジが見事に咲き、冨士山頂がピンク色に染まるそうです。

 

愛媛 大洲郵便局 風景印

〒795-8799
愛媛県大洲市大洲728-1

使用開始年月日:1966年(昭和41年)6月1日
大洲城 肱川橋 鵜

肱川(ひじかわ)は、愛媛県南予地方を流れる肱川水系の本流で、一級河川です。
かつて人々は、「町はずれに大川有、舟わたし。」と『四国邊路通指南』に記されているように舟で肱川を渡っていましたが、天候に左右されるなど渡河往来には困難を極めていました。明治になって、13隻の川舟を繋ぎ板を乗せた浮橋が架けられ、これが肱川橋が開通するまでの38年間、交通上の重要な役割を果たしていました。その後、1913年(大正2 年)に3年の月日を費やし肱川橋が開通しましいた。現在の橋は4代目で1967年(昭和42年)にできたものですが、耐震性を満たしていないとのことで、昨年秋ぐらいから、架け替え工事が行われています。

仮設の橋の上から。肱川橋の橋脚です。

大洲城から見た肱川橋の橋脚と仮設の橋。

大洲城は、1331年(元弘元年)鎌倉時代末期に守護として国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房によって築城されたといわれていて、その後、藤堂高虎等によって大規模に修築がなされ、伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していきました。

肱川から見える大洲城。
風景印のお城が小さいので同じような感じで・・・

鵜飼いは「古事記」や「日本書紀」にも記述がある昔ながらの漁法で、鵜の食道で魚を一気に気絶させるため、傷がつかずしかも新鮮。古くから天皇、貴族、大名などへの献上品として保護されていました。江戸時代に大洲藩でも鵜を使った漁法が行われていたことが古文書に記されているそうです。
明治以降は、漁法も近代化が進み一時は衰退していましたが1957年(昭和32年)に肱川で観光鵜飼として復活させました。
現在大洲では31隻の屋形船と3隻の鵜船で鵜飼を行っており、岐阜県長良川・大分県日田市三隈川とともに、日本三大鵜飼いに数えられているんだそうです。

9時少し前に到着しましたので、ゆうゆう窓口で押印を依頼しました。

JR四国 第23回「アンパンマン列車スタンプラリー」伊予大洲駅 スタンプ

JR四国では、今回で第23回目となる「アンパンマン列車スタンプラリー」を3月18日から10月 1日まで開催していました。
駅16か所、アンパンマン列車車内、各県のレジャー施設などでスタンプが設置されていました。

2019.9.28

SLマン・・・知りませんでした(-_-;)

駅のスタンプは駅員さんが窓口に居る時間にしか置かれていないようで、設置されている時間は各駅バラバラです。伊予大洲駅は18時まででした。
18時を過ぎて駅に着いたため、スタンプは片付けられちゃってました。せっかくスタンプのある駅なのに~って思いましたが、宿泊するつもりだったので、次の日に移動する際、押せました。

愛媛 宇和島郵便局 風景印

〒798-8799
愛媛県宇和島市丸之内1-3-12

使用開始年月日:1976年(昭和51年)4月20日
名物・闘牛の横綱牛の彫物  宇和島城

宇和島駅に降りて目に入ってきたのが闘牛大会のお知らせの看板。。。

ん?闘牛?それは高知じゃ??あ、いやあれは闘犬か?!
と心の中で一人突っ込み。

マンホールにも闘牛が描かれてます。

闘牛の歴史は17世紀の後半にさかのぼります。宇和海を漂流していたオランダ船を福浦の漁民が救助し、礼として贈られた2頭の牛がたまたま格闘したことから始まった、と伝えられているそうです。
うわじま闘牛定期大会は、年に5回。制限時間なしで牛同士が戦い、逃げた方が敗けというルールです。

宇和島城は、中世期にあった丸串城(板島城)の跡に藤堂高虎によって築かれた近世城郭です。
標高約80メートルの丘陵とその一帯に山頂の本丸を中心に囲むように二ノ丸、その北に藤兵衛丸、西側に代右衛門丸、藤兵衛丸の北に長門丸(二ノ丸)を中腹に配置し、麓の北東に三ノ丸、内堀で隔てて侍屋敷が置かれた外郭を廻らせる梯郭式の平山城で、東側に海水を引き込んだ水堀、西側半分が海に接しているので「海城」でもあるお城です。

城が図案に入った風景印は切手があれば、ポストカードとかと合わせてMCにしたいと思っていますが、、、ポストカードが手に入りませんでした。自分で撮った写真を印刷してもいいのですが、そんな時間はなく・・・とりあえず〇シールに押してもらっておきました。