浮世絵シリーズ第4集の絵入りハト印を貰ってきました。
<押印機>
<手押>
図案はどちらも「源氏八景 明石帰帆(あかしきはん) 玉屋内濃紫(たまやうちこむらさき)」(菊川英山筆、平木浮世絵美術館蔵)
〒450-0002
愛知県名古屋市中村区名駅4-23-13(名古屋大同生命ビル1 階)
使用開始年月日:2015年(平成27年)12月14日
スパイラルタワーズ 納屋橋 柳
スパイラルタワーズは地上36階地下3階で、1階から36階が「名古屋モード学園」、「HAL名古屋」、および「名古屋医専」の3つの専門学校となり、1階の一部および地下1階・2階が商業施設「スパイラルタワーズSHOP&RESTAURANTS」となっています。
2008年3月25日に竣工、翌3月26日に正式開業。2つのビルが捩れながら空へむかって伸びているデザインが特徴です。このスパイラル(螺旋)状のデザインは、「時代の最先端を行くエネルギーをもつ学生が、切磋琢磨し絡み合いながら上昇して、社会へ羽ばたいていく様」を表しているそうです。
偶然撮っていた写真。インパクトがあり、何の建物だろう?と思ってわざわざ見に行ったのでした。
納屋橋は1610年(慶長15年)の堀川掘削とともに架けられた「堀川七橋」の1つです。現在の橋は1981年(昭和56年)に架けかえられたものです。
橋の欄干には開削を行ったとされる福島正則にちなみ、福島家の家紋が施されているそうです。
柳橋っていう局名なのに図案は納屋橋・・・柳橋っていうからには橋があるのでは?????土地の名前はありますが、現在は橋は残っていないようです。
以前、名古屋には北から南へ幾筋もの川や用水が流れていました。そのうちの一つに江川と呼ばれた川がありました。舟やいかだの通行はできず、用途は主として、下流にある耕地の灌漑であったといわれているそうです。そこに架かっていた橋の一つが柳橋だったそうなのですが、今では埋めたてられてしまったため、橋はなくなったようです。
柳の木は納屋橋の袂にあるようです。
タワーズ郵便局が移転して、名古屋柳橋局として新たにオープンしました。初日印を郵頼したものです。
〒537-8799
大阪府大阪市東成区東今里3-13-11
使用開始年月日:1990年(平成2年)3月23日
深江稲荷神社の大イチョウ 「深江笠ゆかりの地」の石碑・菅笠
外枠 区花・パンジー
深江稲荷神社は宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)ほか二柱を奉斉する旧深江村の氏神で、和銅年間(8世紀前期)の創建といわれ、慶長8年(1603)豊臣秀頼が社殿を改造したとも伝えられます。笠縫部(かさぬいべ)との関係が深く、現在境内が「笠縫邑跡(かさぬいむらあと)」「深江菅笠ゆかりの地」として大阪府、市から史跡に指定されています。(東成区役所 まちづくり推進課のページ参照)
昔、深江では良質な菅草が自生していました。笠縫氏の一族が移住してきてこの地で菅笠を作っていました。万葉歌人高市黒人(たけちのくろと)が「四極山(しはつやま) うち越え見れば笠縫の島 漕ぎ隠る 棚無し小舟」と詠んだ様に、古代には、笠縫島といわれた島だったんだそうです。
Uちゃんが局めぐりで貰ってきてくれたものです。
〒923-8799
石川県小松市園町ハ128-1
使用開始年月日:1993年(平成5年)2月23日
安宅の関跡の弁慶像 小松空港から飛び立つ旅客機
安宅(あたか)の関は小松市の日本海側にある安宅に守護、富樫氏が設けたと言われる関所。源義経が弁慶らとともに奥州藤原氏の本拠地平泉を目指して通りかかり弁慶が偽りの勧進帳を読み義経だと見破りはしたものの関守・富樫泰家の同情で通過出来たという、歌舞伎の「勧進帳」でも有名です。
小松空港の旅客定期便は、国内線が東京(羽田)、成田、札幌(新千歳)、福岡、仙台、那覇の6路線、国際線がソウル、上海、台北の3路線で運航されているそうです。(平成26年4月現在)
だいーぶ前にUちゃんが貰ってきてくれたものです。。。
〒011-8799
秋田県秋田市土崎港中央3-6-10
使用開始年月日:1994年(平成6年)8月5日
ポートタワー セリオン 港の風景
セリオンは秋田港にあるポートタワーです。元は秋田市ポートタワーと呼ばれていましたが、2007年全国からの応募で改称されました。「sea」と「pavilion」を合わせた造語だそうです。
全高は143mで、高さ100mの所には展望室(無料)があります。
頂き物です。
ポートタワーから望む秋田港の切手を選んで下さいました。素敵なマッチングです!ありがとうございます(^^)
〒287-0011
千葉県香取市香取1296-1
使用開始年月日:1978年(昭和53年)4月14日
重文・香取神宮の狛犬 重文・本殿
香取神宮は関東地方を中心として全国にある香取神社の総本社。茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社です。祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)
社伝では、初代神武天皇18年の創建と伝える。古くは『常陸国風土記』(8世紀初頭成立)にすでに「香取神子之社」として分祠の記載が見え、それ以前の鎮座は確実とされています。
本殿は平安時代は20年ごとの建て替え制度がありましたが、戦国時代には衰退し、現在の本殿は1700年(元禄13年)に徳川幕府によって造営されたものだそうです。1977年(昭和52年)に重要文化財に指定されています。
狛犬は古瀬戸で阿吽一対になっています。図案は吽像ですね。18センチ弱ほどしかないそうです。室町時代(15世紀)の瀨戸古窯での作品と言われています。阿像は1976年(昭和51年)に発行された250円普通切手の図案にもなっていました。
神宮内の宝物館で見ることができるようです。
局のゴム印も押して下さってました。宝印です!鳥居とお団子でしょうか。かわいいです(^-^)
いただきものです。Kさんが節分の日にお参りに行かれた際にもらってきてくださいました(^^)
〒111-8799
東京都台東区西浅草1-1-1
使用開始年月日:2012年(平成24年)4月23日
浅草寺 雷門 ほおずきのほおずき スカイツリー
外枠 雷門の提灯
スカイツリー開業に伴っていち早く既存の風景印の図案を変更したのがこちらの局だったようです。開業が5月22日だったので、その日に合わせた局がほとんどでしたが、こちらの局は開業前から変更していたんですね(^^;
ほおずき市は毎年7月9日10日に浅草寺で行われています。
古来、毎月18日は「仏様と特別なご縁のある日」という意味を込めて「縁日」と呼ばれ、この日に参拝すると、大きな功徳があるとされていました。ですが、室町時代以降、これとは別に「功徳日」という縁日が毎月1回新たに設けられ、この日の参拝は何百日、何千日分ものお参りに相当すると言われてきました。特に7月10日は、4万6千日分の参拝効果があるとされており、江戸時代ごろから参拝が盛んになっていったそうです。
このような大きな縁日には、必ずと言っていいほど参拝客目当ての市が立つ。ほおずき市もそんな市の1つです。ホオズキはもともと、薬草として東京都港区にある愛宕(あたご)神社の千日参りの縁日で売られていました。ホオズキを煎じてのむと、子どものかんの虫や女性の癪によく効くと言われていて、これを参拝土産に持ち帰るのが通例でした。やがてこれが浅草寺に波及し、愛宕神社をしのぐ活況を呈するようになったのがいまのほおずき市なんだそうです。千日参りと4万6千日の参拝とが同じような意味を持っていたことや、明治以前の日本では神仏習合の信仰が一般的だったことが、このような市が神社から寺へとすんなり伝わった背景だと考えられているそうです。
(コトバンク ほおずき市の項参照)
ほおずき市って知りませんでした。ほおずきを煎じて飲んだことももちろんありませんが・・・どんな味がするんでしょう(^^;
Uさんからの頂き物です(^^)
〒605-0981
京都府京都市東山区本町4-136(ノーサイトビル1階)
使用開始年月日:1995年(平成7年)10月20日
方広寺の大釣鐘
方広寺は天台宗のお寺です。
豊臣秀吉がここに東大寺の大仏をもしのぐ大きさの木製の大仏を建立したそうです。ところが大仏開眼法要前に大地震(1596年)により倒壊。
秀頼が遺志を継ぎ、今度は銅製で大仏の再建を試みますが、鋳物師の過失により大仏が融解し、大仏殿も炎上。(1602年)
その後、再び大仏の再建が試みられ、1612年に完成します。
そのときに造られたのが高さ4.2メートル、重さ約83トンの図案の釣鐘です。
「国家安康」「君臣豊楽」という文言が書かれており、それを見た徳川家康が、「国家安康」という句は家康の名を切ったものであり、「君臣豊楽、子孫殷昌」は豊臣を君として子孫の殷昌を楽しむ、と解釈し、徳川を呪詛して豊臣の繁栄を願うものだと激怒し、、、まぁ目障りな豊臣家を滅ぼす為のきっかけだったようですが、これにより、大坂冬の陣が勃発します。
このときの大仏は1798年に大仏殿に雷が落ちたことが原因で消失します。
その後は同様の規模の大仏および大仏殿が再建されることはありませんでしたが、現在の愛知県の有志が、旧大仏を縮小した肩より上のみの木造の大仏像と仮殿を造り、寄進したそうです。しかしそれも、1973年(昭和48年)に、火災によって焼失してしまったそうです。
そういう訳で、現在は京都に大仏はありません。3度もなくなってしまうなんて、、、
〒680-0921
鳥取県鳥取市古海748ー6
使用年月日:1993年(平成5年)10月1日~2015年(平成27)7月22日
山陰本線千代田橋梁 久松山 しゃんしゃん祭りの傘
使用開始年月日:2015年(平成27年)7月23日
花火大会 鉄橋を通過するスーパーはくと 久松山
図案の変更があったので、新・旧ともに郵頼しました。
枠からはみ出る花火の図案が好きです。
この日に鳥取で二十数カ所で新規配備や図案変更があったので、そんなに全部郵頼できないので考えたあげく送った3局のうちの一つでした。
旧図案に描かれている列車は智頭急行の特急車両だと思われますが何だろう・・・新図案では「スーパーはくと」と書かれていたので間違いありませんが(^^;
これにより鳥取県因幡地区連絡会所属の局全56局すべてで風景印の配備されたようで、56局すべての風景印のデザインが印刷された冊子をいただきました。
2015年のかもめーるのデザインが花火だったので、それに押してもらいたかったのです。そういう方は多かったと思いますが・・・
智頭急行に乗ってゆっくり旅したいなぁと思いますけど・・・行くなら車で行っちゃうんだよなぁ。。。