「小松市」タグアーカイブ

石川 小松駅前郵便局 風景印

〒923-0921
石川県小松市土居原町182-1

使用開始年月日:1986年(昭和61年)12月1日
お旅祭りの子供歌舞伎 曳山 駅前の弁慶と富樫像

小松京町局の風景印にもなっているお旅祭り。毎年5月中旬の土、日曜を挟む4日間に渡り行なわれる菟橋神社と本折日吉神社の春季祭礼のことです。
350年余りの歴史を持ち、豪華絢爛な曳山とそこで演じられる子供歌舞伎が有名なんだそうです。

歌舞伎「勧進帳」の舞台になった安宅の関は小松市にあるので、駅には像が建っているんですね。

こちらも約1年前にUちゃんから頂いたものです。

石川 小松京町郵便局 風景印

〒923-0918
石川県小松市京町20-1

使用開始年月日:1999年(平成11年)2月10日
白山の遠望 お旅祭り 子供歌舞伎の曳山

お旅祭りとは小松市で毎年5月中旬の土、日曜を挟む4日間に渡り行なわれる菟橋神社と本折日吉神社の春季祭礼のことです。
350年余りの歴史を持ち、豪華絢爛な曳山と可憐な子供歌舞伎が有名なんだそうです。
1766年(明和3年)から藩政末期まで10基あった曳山のうち、現在は8基が大切に保存され、祭り期間中は各町で展示されます。そのうちの2町で上演される子供歌舞伎は武蔵秩父、近江長浜とともに日本三大子供歌舞伎として全国的に有名です。

図案にある「京町曳山」は1792年(寛政4年) 建造。大正初年には京町出身の彫刻家・村上鉄堂の作品が、また1959年(昭和34 年) には鉄堂の高弟で同じく京町出身の吉田楳堂の作品が「見送り」や「むしこ」の彫刻に加えられたそうです。

ほぼ1年前にUちゃんよりいただいたものです(^^;

石川 小松大川郵便局 風景印

〒923-0911
石川県小松市大川町3-8

使用開始年月日:1999年(平成11年)10月5日
白山の遠望 小松城址 桜並木

小松城は元々、戦国時代に一向一揆勢が築いた城砦を始まりとされ、前田利家の四男、前田利常の隠居城として知られています。
金沢城の支城でありながら、その規模は金沢城の約2倍ほどの広さを誇る、難攻不落の要塞だったそうです。天守台は五重天守閣が余裕で建つほどの規模にも関わらず、小さな二重三階の数奇屋造りの櫓が設けられ、内部は座敷が設けられていたそうです。
巨大な湖沼に浮かぶ、全国でも珍しい「浮き城」だったといわれています。

現在は小松高校の敷地内に天守台が残っているそうです。高校の敷地内ですが、見学はできるようです。

お友達からの頂きものです。

石川 小松八幡町郵便局 風景印

〒923-0866
石川県小松市白嶺町1-17-1

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使用開始年月日:1999年(平成11年)11月11日
白山 市木・松 重文・斎藤実盛の兜 芭蕉の句

斎藤実盛は平安時代末期の武士。初めは源為義、義朝のち平宗盛に仕え、平維盛軍に従って木曽義仲と戦いました。加賀国篠原の戦いでは白髪を黒く染めて奮戦するも、安宅 (あたか) で討死にしました。
幼少の頃、源義朝の命令で殺されそうになった義仲を木曽の中原兼遠に託して救ったことで恩義を感じていた義仲は、実盛が打ち取られたことを知り、たいそう悲しんだとされています。篠原古戦場のほど近くにある新堀川にかかる源平橋の袂には実盛の首を洗ったとされる「首洗池」があります。

実盛の兜は小松市にある多太神社にあるそうです。
奥の細道で芭蕉が多太神社を訪れた際、実盛の兜や錦を拝観され、句を詠まれました。キリギリスはコオロギのことを差すそうです。

Uちゃんからの頂きものです。

石川 矢田野郵便局 風景印

〒923-0304
石川県小松市下粟津町ツ47

矢田野

使用開始年月日:1997年(平成9年)9月9日
白山 こまつドーム

こまつドーム、愛称 ゆめたまご。施設は小松市が所有し、小松市施設管理公社が指定管理者として運営管理を行っています。1997年開場。幕屋根を有するドーム施設で、アリーナ中央部の屋根は開閉式になっているそうです。軟式野球、ソフトボール、サッカー、テニスなどスポーツの他、コンサートなどイベントにも使用されています。

立派な施設・・・に見えますが、規格を満たしていないため硬式野球はできないそうです(+o+)

小松ドーム

Uちゃんからのいただきものです。

 

石川 那谷郵便局 風景印

〒923-0336
石川県小松市那谷町サ3

石川那谷

使用開始年月日:1951年(昭和26年)1月1日
重文・那谷寺本殿 秋のもみじ 石段 灯籠

那谷(なた)寺は小松市にある高野山真言宗の別格本山です。
寺伝によれば、717年(養老元年)泰澄法師が、越前国江沼郡に千手観音を安置したのが始まりとされています。その後986年(寛和2年)花山法皇が行幸の折り岩窟で輝く観音三十三身の姿を感じ、求る観音霊場三十三カ所はすべてこの山に凝縮されるとして、西国三十三観音の一番「那智」と三十三番「谷汲」の山号から一字ずつを取り「自主山厳屋寺」から「那谷寺」へと改名したそうです。

那谷寺

本殿は「大悲閣」と呼ばれ、岩壁に寄って屋根を造らず唐木造、向拝、柿葺となり、四方の欄間に山上善右衛門作の透かし彫りが施されているそうです。

昨年Uちゃんからもらっていたのですが(ってそればっかり・・・)丸1年越しになってしまってごめんなさい。

灯籠はこの少し手前にあるようです。

石川 安宅郵便局 風景印

〒923-0003
石川県小松市安宅町ワ103-1

石川安宅

使用開始年月日:2000年(平成12年)6月10日
勧進帳 安宅の関の場を図案化したもの
外枠 勧進帳の巻物

安宅の関(あたかのせき)は、小松市の日本海側にある安宅に守護、富樫氏が設けたと言われる関所。(所説あるようで、関所があったかどうかははっきりしていないそうですが)
如意の渡しでのエピソードを元にした、源義経が武蔵坊弁慶らとともに奥州藤原氏の本拠地平泉を目指して通りかかり弁慶が偽りの勧進帳を読み義経だと見破りはしたものの関守・富樫泰家の同情で通過出来たという、歌舞伎の「勧進帳」で有名。

小松市にある安宅住吉神社には弁慶・富樫・義経の銅像があります。

安宅の関

「智仁勇」というのは弁慶の知恵、富樫の情、義経の勇気を表したものだそうです。

最初、像は弁慶と富樫氏の2体だけだったようです。(前の風景印(1984年3月23日~2000年6月9日)には富樫氏と弁慶の二人だけが描かれていました)
1995年に義経像が加わり、「智仁勇」を表す形になったのがきっかけだったのか、意匠変更がなされ、現在の風景印となっているようです。

風景印は去年Uちゃんがもらってきてくれたもので。それだけでもありがたいのに、安宅の関の写真を今年撮影してくれたのです。慌ただしい中、覚えていて、写真撮ってきてくれたことに感謝。

石川 小松郵便局 風景印

〒923-8799
石川県小松市園町ハ128-1

小松

使用開始年月日:1993年(平成5年)2月23日
安宅の関跡の弁慶像 小松空港から飛び立つ旅客機

安宅(あたか)の関は小松市の日本海側にある安宅に守護、富樫氏が設けたと言われる関所。源義経が弁慶らとともに奥州藤原氏の本拠地平泉を目指して通りかかり弁慶が偽りの勧進帳を読み義経だと見破りはしたものの関守・富樫泰家の同情で通過出来たという、歌舞伎の「勧進帳」でも有名です。

小松空港の旅客定期便は、国内線が東京(羽田)、成田、札幌(新千歳)、福岡、仙台、那覇の6路線、国際線がソウル、上海、台北の3路線で運航されているそうです。(平成26年4月現在)

だいーぶ前にUちゃんが貰ってきてくれたものです。。。

石川 月津郵便局 風景印

〒923-0972
石川県小松市月津町ミ13-1

石川月津

児童会館の天体ドーム なかよし鉄道 白山

児童館というのは石川県立小松児童会館のことで、現在はいしかわ子供交流センター小松館という名前に変わっている。粟津公園の一角に立地している。建物の3階に天体観測室があり、口径20.3cmの屈折式大型天体望遠鏡がある。

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公園敷地内には遊戯鉄道である「なかよし鉄道」が設けられており、かつて尾小屋鉄道にて使用された車両が動態保存されている。
全長473m、軌間762mmの軽便鉄道路線が敷設されており、児童会館前駅 – なかよしの森駅間にて軽便気動車「キハ1号」による単行運行を行なっている。

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月夜の白山がかわいらしい。
友達が局巡りで貰ってきてくれました。