「静岡県」カテゴリーアーカイブ

静岡 芳川郵便局 風景印

〒430-0813
静岡県浜松市南区芳川町199

使用開始年月日:1999(平成11)年10月1日
市鳥・ツバメが芳川を渡り、市花・ハギの枝をそえて手紙を届ける様子

浜松市は平成3年の市制80周年を記念して市の鳥を制定することにし、市の鳥の制定は市民の動物愛護や自然保護の精神を育み、豊かな心を育てることを目的に
①浜松市の風土・自然・歴史などとかかわりが深い鳥
②市民に愛され、親しまれ、心のよりどころとなる鳥
③姿や形が美しい鳥
④浜松市のシンボルにふさわしい鳥
を選びたいとのことでした。
市民から市の鳥にふさわしいものを公募した結果3400件以上の応募があり、ツバメやハト、ウグイスなどが多かった。
制定委員たちは野鳥の宝庫といわれる佐鳴湖岸や馬込川の河口を視察、検討の結果、市の鳥はツバメと決定されました。
選定の理由は、馬込川河口が全国有数のツバメのねぐらになっている。姿、形が美しく市民に親しまれている。えんび服姿がコンダクターをイメージし、音楽の街づくりのシンボルにふさわしい、などでした。こうして浜松市は平成3年7月1日に市の鳥をツバメと決めました。

浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
浜松市史 五

上記を参照させていただいたのですが、、、話には続きがあって、、、

平成17年に天竜川・浜名湖地域12市町村が合併し、新しい浜松市が誕生すると市章や市歌、市の花、市の鳥などは変更されることになったそうで、現在の市の鳥はウグイスなんだそうです(^▽^;)
選定の理由は、春の訪れを告げる鳥として広く親しまれ、夏には市の山間部で繁殖し、冬には平野部の公園や人家の庭先にも現れる。人々の心を和ませる美しく澄んだ鳴き声は音楽のまち・浜松を象徴しているから。だそうです。。。

ちなみに、市の花も現在はミカンの花に変わっているようです(;^_^A

静岡 浜松元目郵便局 風景印

〒430-0948
静岡県浜松市中区元目町120-8

使用開始年月日:1999(平成11)年10月1日
浜松城 浜松城公園 玄黙口跡

浜松城の前身となった引間(曳馬)城(現在の東照宮付近)の北側の城門が玄黙口(げんもくぐち)でした。三方ヶ原の戦いで敗北を喫した徳川家康はこの門へ退却したと伝わるそうです。

押印してくれる人(他の方が押された場合は違うかもしれないので「人」と書きます)が風景印を押す際に、適当に押すよなぁと思う人はたいてい押したハガキをそのまま渡してきます。(勝手な判断です)
普通はハガキを入れる袋や、インクが他へつかないようにとティッシュを挟んでくれたり、乾いてから入れてくださいね。等の一声をかけてくれたりします。

17時ギリギリに行ったので早く帰りたかったのでしょうか。そんな感じで適当に押された感じがして、図案は気に入っているのにとてもガッカリして局を後にしました。

静岡 浜松連尺郵便局 風景印

〒430-0939
静岡県浜松市中区連尺町309-14

使用開始年月日:1999(平成11)年10月1日
浜松城 大手門

浜松城の前身は15世紀頃に築城された曳馬城で、築城時の城主は不明です。16世紀前半には今川氏支配下の飯尾氏が城主を務めていました。この頃の城は、現在の元城町東照宮付近にあたります。徳川家康が元亀元年(1570年)に曳馬城に入城し、浜松城へと改称。城域の拡張や改修を行い、城下町の形成を進めました。
拡張・改修は天正10年(1582年)ごろに大体終わりますが、その4年後の1586(天正14)年、家康は浜松から駿府に本拠を移しました。
現在の天守台は家康の後に浜松城に入った堀尾吉晴が築いたものだと言われています。近世には天守は存在しなかったようで絵図にも記載がありません。本丸にあった二重櫓が天守代用とされていたようです。
現在の天守は観光用に建てられた模擬天守です。

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大手門の外からの写真は同じ角度では撮れなかったので、内側から・・・

風景印は1枚1枚とても丁寧に押してくださいました。

局では申し出れば、風景印の説明を頂くことができます。

連尺という地名は連雀(連尺)という背負子を背にした商人がこの地を往来していたことに由来します。

と説明されていました。

駐車場はなく、HPにも無しと書かれていますが、尋ねたところに寄れば、北隣の建物の地下の駐車場に停めれば割引チケットをお渡しできます。と言われました。

静岡 浜松鹿谷郵便局 風景印

〒432-8014
静岡県浜松市中区鹿谷町20-5

はままつしかたにゆうびんきょく

使用開始年月日:1999(平成11)年10月1日
浜松城 道路に転用されている旧遠州鉄道奥山線のトンネル

奥山線は、かつて静岡県西部、浜松市の遠鉄浜松駅(現・遠州病院駅)から三方原台地を北上して、国鉄二俣線金指駅を経由し、引佐町(現・浜松市)の奥山駅との間を結んでいた、遠州鉄道の鉄道路線。軌間762mmの軽便鉄道です。1914(大正3)年に元城ー金指間が開業し、20年に気賀(後に気賀口)へ延伸され23年に板屋町(浜松)-奥山間が全線開通しました。
戦後のモータリゼーション到来により業績を落とし、1963年(昭和38年)の区間廃止を経て、翌1964年(昭和39年)に全線廃止されました。

旧元城駅及び車庫・工場の跡に建ったホテルコンコルド浜松を過ぎ、三方原台地へと差し掛かる切通しとトンネルは、サイクリングロードとして整備されています。トンネルはレンガ造りですが、往時のままではなく装飾がなされているほか、奥山線時代の写真なども載せられているそうです。
サイクリングロードは銭取駅跡付近まで続いています。

静岡 浜松布橋郵便局 風景印

〒432-8012
静岡県浜松市中区布橋1-5-12

使用開始年月日:1999(平成11)年10月1日
遠州大念仏 浜松城 三方原古戦場・犀ケ崖

三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)とは、1572(元亀3)年12月22日、三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北方、天竜川と浜名湖との中間)で起こった武田信玄と徳川家康との戦いです。
上洛を企てた信玄は遠江(とうとうみ)に侵入、そして堅固な浜松城を攻めずに徳川軍を三方ヶ原に誘い出して戦いました。その結果、信玄は大勝利をおさめ、家康は浜松城に敗走しました。
しかし、その夜、家康は一矢を報いようと浜松城の北側にある犀ヶ崖(さいががけ)付近で夜営をする武田軍を急襲しました。

当時の犀ヶ崖は、東西約2km、幅50m、深さ40mに及ぶ切り立った断崖絶壁でした。地理を誤った武田軍は、この崖に落ちて多くの人馬を失ったと伝えられます。

「崖に布を張り、橋と見せかけて武田軍をこの谷に落とした」という伝説もあります。
布橋一丁目の「布橋」という町名は、この伝承にちなんだ地名です。

現在は、その場所に犀ケ崖資料館が建っています。

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静岡 浜松富塚郵便局 風景印

〒432-8002
静岡県浜松市中区富塚町2345-1

使用開始年月日:1999(平成11)年10月1日
佐鳴(サナル)湖 浜松城 御前谷「史跡太刀洗の池」石碑

太刀洗の池の碑は、県西部浜松医療センターの駐車場の一画に建っています。
昔はこの辺り一帯は藪に覆われ、約50平方メートルほどの池であったそうです。
徳川家康の正室・ 築山御前(瀬名姫)は甲斐武田氏と通じたとされて、織田信長から要求を受けた家康は妻を殺さなければいけないという事態に追い込まれました。
1579(天正7)年8月29日、築山殿は浜松城に向かう途中、佐鳴湖畔富塚村の小藪で、家康の家臣により殺害されました。享年38歳。
その時使った太刀を洗ったことから、藪の中の大きな池は、『大刀洗の池』と呼ばれるようになりました。現在は池はなく、浜松医療センター駐車場の東側に建つ石碑のみとなっています。

風景印を見ると、太刀洗池が描かれているようにも見えますが、、、描かれているのは佐鳴湖という湖です。浜松市西区にある湖です。なんと、この湖、日本1,2位を争う汚い湖とされているそうです(;^_^A
COD(化学的酸素要求量)の数値が高いのだそうです。
千葉県のHPに平成28年度のCODの高い湖沼が発表されていましたが、佐鳴湖は4位でした。1~3位までが沼だったので、湖でいえば、やはり1位ということで・・・(;^_^A

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局舎は綺麗でまだ新しそうだなと思ったら3年ほど前に移転したようでした。

静岡 浜松西山郵便局 風景印

〒432-8001
静岡県浜松市西区西山町2168-3

使用開始年月日:1999(平成11年)年10月1日
ブルーインパルスの曲技飛行

近くに航空自衛隊浜松基地があります。エアパーク(航空自衛隊浜松広報館)と言う、一般の人が航空自衛隊を理解するために作られた施設があります。戦闘機や装備品の展示をはじめ、シミュレータや全天周映像シアターも設置されています。

こちらを見学した帰りに西山局で風景印を貰ってきました。

遠くにうーーーーっすら富士山が見えました。

静岡 浜松郵便局 風景印

〒430-8799
静岡県浜松市中区旭町8-1

使用開始年月日:1990(平成2)年10月29日
浜松城を描いた凧 音符
外枠 ウナギ

浜松市はヤマハやカワイ、ローランドといった世界に名立たる楽器メーカーが立地し、楽器のまちとして知られています。
また、ウナギの養殖発祥の地でもあります。
そして、歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」と言われた浜松城。

風景印の中にギュっと浜松が詰め込まれていていいですね。

静岡 下田郵便局 風景印

〒415‐8799
下田市二-4-26

使用開始年月日:1949(昭和24)年3月10日
黒船 下田港風景

江戸時代末期の1854年、日本はアメリカと日米和親条約を結び、下田港、箱館(現・函館)港を開港し、鎖国の終焉を迎える。。。

そんなイメージの下田です(;^_^A

そんなイメージ通りの風景印がやってきました。
下田に遊びに行かれたUさんが送って下さいました。

下田では毎年5月になると、黒船来航を記念した黒船祭というお祭りが駐日アメリカ軍も参加し、開催されているます。

そして、なんと、「黒船」を毎日見ることもできるようです。
下田の港を一周する遊覧船の形が当時の黒船を模したものなんだそうです。

Uさん、ありがとうございました(*^-^*)

静岡 熱海郵便局 風景印

〒413-8799
静岡県熱海市水口町13-14

使用開始年月日:2000年10月2日
お宮の松 熱海湾 初島 大湯間欠泉
外枠 市花・ウメ

お宮の松は、静岡県熱海市の東海岸町の国道135号線沿いにある松のことです。
尾崎紅葉の『金色夜叉』の中で、間寛一とお宮の熱海海岸での別れの場面の舞台になったといわれています。
自動車の普及により、排ガスや舗装の影響で衰えたため、1966年11月に地元のホテルの寄贈により2代目の松が植えられたそうです。

初島は、伊豆半島東方沖の相模灘に浮かび、静岡県の最東端でもあります。面積は0.437 km²。
島内から縄文時代の遺跡が発見されていて、古くから人の居住があったと考えられています。

大湯間欠泉は世界の三大間欠泉とまで謡われていましたが、明治時代中期に自噴が止まってしまいます。その後、関東大震災の際に再び自噴が始まりましたが、昭和初期に再び自噴が止まってしまったそうです。その後、1962年(昭和37年)に人工の間欠泉として整備され、現在に至っています。

熱海に行かれたTさんより頂戴致しました。お忙しい中、お葉書送っていただいてありがとうございます!