「埼玉県」カテゴリーアーカイブ

埼玉 北吉見郵便局 風景印

〒355-0104
埼玉県比企郡吉見町地頭方451

使用開始年月日:2010年(平成22年)8月2日
吉見町のシンボル イチゴの花
外枠 イチゴ

Kさんより頂戴しました。
デザインがイチゴ一択だってことからもわかるように、イチゴの生産(主にとちおとめ)が盛んなんだそうです。

リラックマのイチゴの切手を合わせて頂いてます(^^)

貯金印もイチゴが!

Kさんありがとうございました(*’▽’)

埼玉 川越南大塚駅前郵便局 風景印

〒350-1165
埼玉県川越市南台2丁目1-19

川越南大塚駅前

使用開始年月日:1999年(平成11年)8月5日
南大塚もちつき踊り 時の鐘 西武新宿線 南大塚駅 サツマイモ

餅つき踊りというのは、1つの臼を数人で囲み、踊りながら餅をつく芸能です。
南大塚の餅つき踊りは、幕末の安政年間に始まったといわれ、以後大正時代までは子どもの「帯解きの祝い」に行われてきました。長男・長女の7歳の祝いに、その家では「餅つき連中」に餅つき踊りを頼みます。餅つき踊りは、頼まれた家の庭で餅をつきながら踊り「引き擦り餅」といって臼を引き摺り途中でも餅をつきながら、鎮守の菅原神社に参詣したんだそうです。
しかし当時はどの家でも「帯解き」を祝えたわけではなく、ましてや持ちつき踊りを依頼するようなことは、「お大尽」と呼ばれるような裕福な家でしかできなかったそうです。 大正末期から第二次世界大戦頃にかけては中断してしまいましたが、戦後再開され、その後は南大塚全体の祭りとして実施するようになったそうです。
現在では、餅をつく場所が個人の家から西福寺境内に代わっています。
出来上がったお餅は見物に来たお客さんにもふるまわれるそうです。
毎年1月に行われているようです。

餅つきシリーズ3つ目です(^^)

川越南大塚駅前 ねずみ切手

「ねずみの浄土」の切手を見つけたので、こちらにも押印してもらいました(^^)

埼玉 東松山平野郵便局 風景印

〒355-0004
埼玉県東松山市沢口町30-6

東松山平野

使用開始年月日:2001年(平成13年)12月14日
ひきずり餅 ボタン
外枠 梨

江戸時代、武家や大店(おおだな)などでは自分のところで年始の餅をついていましたが、町人の場合は道具を家に持ち合わせていないので、“餅つき屋”を自宅に招いて餅をついてもらうことも多かったようです。これらを「引きずり餅」と呼び、4、5人でチームを組んで釜、臼、杵など餅つきの道具一式を引きずり歩いて家々を周り、注文のあった家の前で威勢よく餅をついていたそうです。
威勢よく餅をつく姿は活気があっていいということで結構な需要があったのだとか。

東松山には牡丹の名所があります。日本三大稲荷と言われることもある箭弓稲荷神社(やきゅういなり)と東松山牡丹園です。

東松山平野-1

2016年の年賀状のデザインを見たとき、焼いている餅が「申」の文字になっていて、面白いデザインだなって思っていて、、、焼きもちなんかが風景印になってるところはないかなぁと思ったのですが、あいにくなさそうだったので、「餅つき」をしている風景を図案にしているところのものを貰ってみることにしました。

埼玉 川越郵便局 風景印

〒350-8799
埼玉県川越市三久保町13-1

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使用開始年月日:1999年(平成11年)8月5日
川越城本丸御殿 太田道潅像 市花・ヤマブキ 市鳥ガン

川越城は、1457年(長禄元年)に、関東管領の扇谷上杉持朝(もちとも)の命により、家臣の太田道真(どうしん)・道灌(どうかん)親子が築城しました。当時の城は、土塁によって囲まれた砦のような規模の小さいものだったようです。

川越城本丸御殿は、1848年(嘉永元年)に時の藩主松平斉典(なりつね)が造営したもの。当初の本丸御殿は16棟あり、総建坪1,025坪(3,888平方メートル)に及ぶ広大なものでしたが、明治維新後次第に解体されてしまいました。
現存しているのは玄関部分と、移築復元された家老詰所のみですが、埼玉県指定文化財になっています。