ルパン三世フェスティバル2017 小型印

今年はルパン三世誕生50周年なんだそうです。
原作者モンキー・パンチ氏の生まれ故郷である北海道浜中町にて、イベントが今年も行われました。
今年も小型印を出して下さったので、郵頼しました。

9月16日~10月31日まで期間がありますが、初日印のみ、霧多布局へ郵頼すれば、全局分対応して下さるというので、お願いしました。間に合ってよかった・・・(;^_^A

観光交流館「花嫁のれん館」来館記念 小型印

花嫁のれんとは、幕末から明治時代から伝わる、加賀藩の能登・加賀・越中で始まった婚礼の風習の一つで、嫁入りの時に嫁ぎ先の仏間に掛けられ、花嫁がくぐるのれんです。

そんな花嫁のれんを常時見学できるようにと「花嫁のれん館」が平成28年春に七尾市に開館し、常設展示室では明治から平成までの花嫁のれんを見るようになっています。

花嫁のれん館のキャラクターになっている「お嫁ちゃん」とアイコンとして使われている「のれん」が図案の小型印です。

訪問した日は早々に七尾を出発して氷見方面へ向かう予定だったので、ゆうゆう窓口が開くのを待って押印してもらいました。
準備がちゃんとされていたので、待つことなく、すぐに押してくださいました。

観光列車 花嫁のれん 乗車記念スタンプ

IRいしかわ鉄道線金沢駅 – 七尾線和倉温泉駅間を直通運転し2往復/日運行している特急列車です。土日祝を中心に運転されています。
和倉温泉駅からは、のと鉄道七尾線の新型観光列車「のと里山里海号」に接続し、穴水駅まで能登の観光を楽しむことができます。

キハ48形2両(キハ48 4とキハ48 1004)を改造した専用車両を使用していて、定員は52席です。デザインコンセプトは「和と美のおもてなし」を基にしていて、デザイン担当は、近畿日本鉄道「しまかぜ」をデザインした山内陸平さん(監修)と井上昭二(デザイナー)さん、山本俊治さん(クリエィティブ・アートデザイナー)です。

車内売店で、アテンダントの方にお願いすると乗車記念のハガキを貰うことができます。そこにはあらかじめ花嫁のれんスタンプ(下)が押されています。
そこへ、日付入りのスタンプを押しました。日付入りのスタンプは2号車にありました。

七尾駅の駅員さん、花嫁のれん号が来る時だけ、法被を着用しておられました。

当初、全然乗るつもりではありませんでした。
羽咋~七尾へ移動するつもりで羽咋駅へやってきて、ちょうど次に来る列車がこの観光列車でした。
これに乗れないともう1時間以上待たなくてはいけなくなるので、窓口で空いているかどうか聞くと、やけに上からな感じで、「なんとか空いてます」って言われました。
大変人気の列車で、予約が困難なんだと後で知りました。どうりで(^^;

豪華な車内。(2号車)
1号車は半個室仕様になっているのですが、テレビ撮影の方たちが乗っておられたので、写真は撮っちゃいけないかなぁと思い、自粛。。。

トイレのサインも花嫁仕様。

アテンダントの方はお着物をお召しです。

七尾で花嫁のれん号から下車しましたが、時間があったので、七尾駅からのと鉄道で一駅乗って和倉温泉駅まで行きました。

和倉温泉駅には花嫁のれんが展示されていました。

たまたま乗り合わせたのと鉄道がのと里山里海号を連結していたので、写真を、、、折り返し運転する花嫁のれん号と共に・・・

行き当たりばったりで乗ってしまいましたが、ちゃんと予約して、お食事を頂きながらゆっくり楽しみたいなぁと思いました(^^;

道の駅 妹子の郷 スタンプ

2017.7

2015年夏に湖西道路、和邇インターチェンジ入り口にOPENした比較的新しい道の駅です。
名称は大津市民の公募で選ばれ、遣隋使の小野妹子の出身地が
大津市北部あたりであると言われていることに由来して命名されたそうです。

デザインにある「縁結びの水引」のマークには、2つの意味があり、「2つの輪の中」は当施設の所在地「和邇中」を表し、「水引」は、小野妹子が隋から帰国する際、航海の無事を祈り紅白に染めた麻のひもを結んだ贈り物を持ち帰ったのに因んでいるそうです。

写真を取り損ねてますが、この建物の右側に少しだけ写っているのが観光案内所で、そちらにスタンプが置いてあります。
観光案内所が閉まってもローソンで押すことができますが、、、管理状態がよくなさそうでした。

観光案内所のスタンプは台紙も用意して下さっていますが、ツルツルの紙なので、やや押しにくいです。

京都 長岡開田郵便局 風景印

〒 617-0826
京都府長岡京市開田3-2-4

ながおかきょうかいでんゆうびんきょく
使用開始年月日:1994年(平成6年)8月1日
開田城土塁跡 紅葉 西山

開田城は、戦国時代(15世紀後半~16世紀)に活躍した国衆の一人である中小路氏の居館でした。
乙訓・西岡地域の土豪、地侍たちはそれぞれの村のリーダーとして活躍し、また国衆として、地域の自治的運営を目指す国一揆を結んだことで全国的にも著名です。
国衆の居館は彼らの活動の基地として重要な役割をはたしましたが、開田城はそうした居館の遺構が残る貴重な事例なんだそうです。

現在はマンションが建てられていて、その一部が土塁公園となっているのですが、マンションのロビーに復元模型があるそうです。
知らなかった。。。残念。

Otegamiフリマ2017 AUTUMN スタンプ

「Otegamiフリマ」は、手紙を書く楽しさ、手紙文化、郵便切手の魅力を再発見してもらうことをコンセプトにしたフリーマーケット形式のイベントです。

毎回テーマが違うポストが設置されているOtegamiフリマ。
8月25日・26日に行われた”2017年秋”バージョンはは「イエローギンガムポスト」だったそうです。

いつも送っていただいてKさんありがとうございます!

京都 京都天王町郵便局 風景印

〒606-8332
京都府京都市左京区岡崎東天王町39

使用開始年月日:1988年(昭和63年)9月5日
重文・南禅寺三門 水路閣 モミジ

南禅寺の水路閣は1890年(明治23年)、琵琶湖の水を京都の街へと運ぶための水路橋として作られました。
全長93.2m(幅4m、高14m)という南禅寺の水路閣は、レンガ、花崗岩造りの当時としてはモダンな建造物でした。

毎秒2トンの水が流れているそうです。。。

三門は仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない三つの関門を表す、空、無相、無作の三解脱門を略した呼称です。山門とも書き表され、寺院を代表する正門です。
五間三戸(正面柱間が5間で、うち中央3間が出入口)の二重門(2階建ての門)。幅21.8メートル、高さは22メートルもあります。
開創当初の三門(1295年)は焼失し、現在の門は藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた将士の菩提を弔うため、1628年に再建されたと言われています。

水路閣と写真を撮った日が違います。三門を訪れた日はとてもいいお天気でした。

東京 文京水道郵便局 風景印

〒112-0005
東京都文京区水道2-14-2

使用開始年月日:1996年(平成8年)8月8日
神田川 鯉 サクラ

神田川の元の名前は「平川」といい、現在の日本橋川の分流点付近から南流し、現在の丸の内・日比谷に入り込んでいた日比谷入江に注ぎ込む川でした。
1590年(天正18年)に江戸に入府した徳川家康は、海辺で井戸によって真水を満足に得ることができない江戸の飲料水を確保するために平川を改修し、井の頭池と善福寺池、妙正寺池を水源とする神田上水を整備しました。この改修により井の頭池を出て善福寺川、妙正寺川と合流する上流部分は現在の姿となり、神田上水は川の本流から目白で分流して小石川、本郷に水を供給するようになりました。

洪水がしばしば起きるということもあり、1980年代以降の川岸整備や放水路の増設によって治水が成されました。その際に植えられた桜が大きく育って、現在では花見スポットになっているそうです。

神田川には鯉がいるそうです。なんで鯉?!っと思ったら、ボウフラやユスリカ対策なんだそうです。
東京都と流域自治体と都民は神田川の水質改善策と環境改善の対策として 鯉を川に放流した結果 、鯉がボウフラを食べてユスリカが発生しなくなったそうです。

Iさんより頂戴しました。とても綺麗な印影で。。。風景印を大切にしてくださっている局なのかなと思います。

山形 山形駅前郵便局 風景印

〒990-0039
山形県山形市香澄町1-15-32

使用開始年月日:1988年(昭和63年)2月1日
重文・旧済生館本館 ベニバナ

済生館は、1878年(明治11年)に山形県立病院として建設されたもので、当時の山形県令三島通庸の「山形の近代化を図る」という構想のもとに竣工しました。「済生館」の名前は当時の太政大臣・三条実美の命名だそうです。
経営の問題から1888年(明治21年)には民営となり、その後1904年(明治37年)4月には山形市立病院済生館となりました。

昭和30年代後半には、創建以来約90年を経て老朽化が進み、病院の近代化が求められるようになり、建物は解体することが決まったのですが、文化庁の調査で、現在地の霞城公園内に復原保存されることになりました。
1966年(昭和41年)12月、東北地方の大規模な洋風化の歴史を示す資料として、国の重要文化財に指定されています。
その後、文化史的意義が評価され、現在は「山形市郷土館」として当時の姿を伝える歴史資料館となっています。

Oさんより頂戴しました。ありがとうございます(^^)