「新潟県」カテゴリーアーカイブ

新潟 高田郵便局 風景印

〒943-8799
新潟県上越市大手町3-21

使用開始年月日:2001(平成13)年10月22日
三階櫓 蓮見橋 ハス
外枠 サクラ

高田城は、高田平野にある菩提ヶ原に築かれた平城で、徳川家康の六男、松平忠輝(越後少将家)の居城として天下普請によって造られました。天守はなく、1614年に3重3階の三重櫓を建てて天守の代用としたそうです。
当時の三重櫓の外観は不明で、江戸城の富士見櫓に似た外観であったと伝えられている。
現在の櫓は上越市発足20周年記念事業として、焼失した三重櫓を1993年に復興したものだそうです。新潟県指定史跡に指定されています。

今年の城の日はこちらの局に郵頼してみました。
2.4.6なんだか語呂もいいです(*^-^*)

新潟 新潟中央郵便局 風景印

〒950-8799
新潟県新潟市中央区東大通2-6-26

使用開始年月日:1968(昭和43)年6月15日
万代橋 新潟港 船舶 県花・チューリップ

万代橋(萬代橋/ばんだいばし)新潟市中央区の信濃川に架かる橋で、国の重要文化財に指定されています。
新潟市の信濃川に架橋された初めての橋で、1886(明治19年)に初代が竣工された。

現在の橋は3代目で、1929(昭和4)年6月に竣工。
側面に御影石(花崗岩)の化粧板を施した6つのアーチを連ねる鉄筋コンクリート橋です。
昭和時代初期における大規模なコンクリートアーチ橋の貴重な現存例であり、新潟市のシンボルとして、またランドマークの1つとなっているんだそうです。

ご旅行に行かれたTさんより頂戴しました(*^-^*)
ありがとうございます!

新潟 新潟大山郵便局 風景印

〒950-0063
新潟県新潟市東区上王瀬町1-39

使用開始年月日:2017(平成29)年11月20日
通船川、栗ノ木川と信濃川を結ぶ東新潟地域を浸水被害から守る山の下閘門排水機場
筏を曳いて閘門を通過する船の様子

大山地区のシンボルである大山台公園の展望台

新潟県のHPにこんな記述がありました。

県では、治水上の重要施設である山の下閘門排水機場が完成50周年を迎えることから、同施設をPRする活動を行っています。活動のひとつとして新潟大山郵便局の風景印に、山の下(閘門排水機場等のデザイン化を提案していたところ、11月20日(月)から使用開始されることになりました。

なんと、県からの依頼で作成されたんですね。
風景印配備を記念して、A4 のクリアファイル250部が配布されたそうです。

閘門排水機場って聞きなれないですが、、、
閘門(こうもん)は閘門は、水の高さが違う場所で船を通すためのエレベーターみたいな施設で、排水機場は自然の力で雨水や川の水が海に流れない場所で、機械の力を使って水を他の川や海に流すための施設なのだそうです。

通船川は、新潟市津島屋で阿賀野川から分かれて、山の下閘門排水機場のところで栗ノ木川と合わさって信濃川に流れる川です。

信濃川や阿賀野川の水面の高さは、およそ標高0.5mですが通船川や栗ノ木川の水面の高さは、およそ標高-1.65mと2m以上も低くなっています。通船川や栗ノ木川周辺は、信濃川や阿賀野川の水面の高さよりも地面の方が低いという所が多いため、信濃川や阿賀野川の水が入ってこないようにする必要があります。
また、この地域は降った雨を自然の力で信濃川や阿賀野川に排水することができないため、ポンプ場によってたまった水を排水しなければ水浸しになってしまいます。
通船川は阿賀野川からの入り口と信濃川への出口を閘門排水機場で締め切っています。そのため自然に川の水が流れることは、ほとんどありません。
しかし、そのままでは、川の水質が悪くなってしまうため、通船川と栗ノ木川には浄化用の水を取り入れています。
通船川には津島屋閘門排水機場から阿賀野川の水を、栗ノ木川には竹尾揚水機場から鳥屋野潟の水をそれぞれ約2m3/s取り込み、山の下閘門排水機場より信濃川に排水しています。
また、通船川の増水時には、津島屋閘門排水機場から阿賀野川へ最大4.9m3/sの水を排水します。
県HPの説明より

配備されて間もない風景印をIさんより頂戴しました。
色んな仕組みを駆使して自然と共に生きているんだなと思う風景印でした。ありがとうございます!

新潟 三仏生郵便局 風景印

〒947-0051
新潟県小千谷市三仏生3963-1

三仏生-2

さんぶしょうゆうびんきょく
使用開始年月日:2015年(平成27年)11月2日
三仏生の「百塚の桜」

三仏生

小千谷市三仏生地区の集落西側に南北約1kmにわたり桜並木が広がり、三仏生の「百塚の桜」として、知られている名所をデザインしたそうです。

百塚は、小千谷市三仏生の集落西側にあり、南北約1キロメートルに直列状に配列された、規則性を持つ塚群だそうです。塚一基の大きさは、底径約4メートル、高さ約1.5メートルを計る円形塚が主体で、現在141基が存在している。塚の上には石仏が立てられているそうです。いつ作られたものなのかというような詳しいことはわかっていないんだとか。

新規配備の初日印を郵頼しました。かなり繊細な図案なので、、、摩耗すると何が何だかわからなくなる気がしてなりません(^^;

 

新潟 真人郵便局 風景印

〒949-8726
新潟県小千谷市真人町甲657-14

真人

使用開始年月日:2015年(平成27年)9月1日
真人町モニュメント「キラリ真人」 稲穂(コシヒカリ)

「まっとちょう」と読むそうです。秋田県横手市には同じ漢字で「まと」と読む郵便局があります。

真人町の入り口にあるモニュメント「キラリ真人」は1990年(平成2年)に設置されたもので、中央は、雪解けのしずくの「きらり」と光る輝きを表現していて外側のパイプは「Clean」の「C」を現しているそうです。

9月1日に新規配備で初日印を依頼したつもりが・・・間に合ってなかったようでまさかの2日付けの押印になってしまった。。。

中越切手展 小型印

長岡 小型印

中越切手展で小型印が配備されたので郵頼しました。
47回目となるはずですが、昨年から何回目かは小型印のデザインには入らなくなったようです。印のデザインも昨年と同じのようです・・・何があったんでしょう・・・

印のデザインは「長岡城を模した3層4階の天守閣風の長岡市郷土資料館」だそうです。

長岡城は1618年(元和4年)に完成した平城で、元々天守はなかったそうです。戊辰戦争の折に城郭は消失。本丸跡地は現在のJR長岡駅周辺で遺構はありません(石碑があるようです)。
図案となっている長岡市郷土資料館の石垣の一部には旧長岡城の石垣石が使われているとか。でも、資料館の建物は天守閣風に建てられていますが、長岡城との関係はないそうです(^^;あくまでも長岡城風ということのようで・・・

DSC_0320

余談ですが、返信封筒に押されていた消印です。
いつも返信封筒への押印は特に何のお願いもしていませんが、この消印は右下に真っ直ぐ綺麗に手押されていて(スタンプ式じゃなさそうだった)・・・わざとこうしてくれたのかなぁと。ちょっといい感じだったので残しておきました。

 

新潟 長岡郵便局 風景印

〒940-8799
新潟県長岡市坂之上町2-6-1

長岡-2

使用開始年月日:2007年(平成19年)10月1日
長生橋(ちょうせいばし) 花火

長生橋は長岡市の信濃川にかかる国道351号の道路橋梁です。3代目となる現在の橋は1937年(昭和12年)に竣工し、橋長850.8 mで幅員7.0 mあるそうです。
江戸時代の信濃川はもっと今より川幅があったが橋梁はなく、渡船しか手段がありませんでした。天候不良で船が出せなかったり、春の雪解け時期などは雪塊が船に衝突して転覆するなど長きにわたり様々なトラブルがつきものだったそうです。
そこで、1876年(明治9年)になって、中州を挟んで2つの木製の橋が登場します(初代)。開通の際、長岡の「長」と草生津の「生」の字を取って「長生橋」と名付けたと言われています。また「長生き」に掛けて命名したという説もありますが、橋名の正確な由来は定かではないようです。
この橋の登場で長岡の交通の要所となるのですが、やはり洪水などで度々橋が破損。
そこで、中州を通らず1本で両岸を結ぶ新たな橋梁が登場する。1915年(大正4年)のことでした。これが二代目の橋です。
但馬(今の兵庫県)妙見山の杉材を使用して完成した2代目「長生橋」も木橋であったため、風雨や洪水で度々損傷し、腐朽も進んだ為、1937年(昭和12年)現在も使用されている鋼鉄橋の三代目「長生橋」が誕生しました。

毎年夏に行われている長岡の大花火大会では、この長生橋からナイヤガラの花火が打ち落とされるそうです。

小型印と共に郵頼しました。橋一つ取っても長い歴史があるもんなんだなぁ。。。