「大阪府」カテゴリーアーカイブ

大阪 西淀川福郵便局 風景印

〒555-0034
大阪府大阪市西淀川区福町2-4-28

使用開始年月日:2020(令和2)年2月3日
矢倉緑地公園 大野川緑陰道路 福住吉神社

新規配備初日、局を訪問しました。
ご丁寧に図案説明書を頂きました。

局からすぐ近くの大野川緑陰道路と福住吉神社を訪れました。

図案説明にもあるように、大野川緑陰道路は大阪市西淀川区歌島二丁目から同区百島二丁目に至る約3.9kmの歩行者・自転車専用道路です。歩行者専用道路と自転車専用道路に分離されています。

こんな感じで標識があります。

名前の通り、ここはかつて大野川という川が流れていました。
地域の舟運や治水などに利用されてきたのですが、時代が下ると工場排水によって河川の汚濁が目立つようになり、環境改善として1971年から1972年にかけて埋め立てられました。

埋め立てに先立って大阪市は跡地に高速道路を建設する計画を発表しますが、公害・大気汚染問題が深刻になっていた西淀川区の住民は大反対。
埋めたてた跡地を緑地帯にするよう求め、運動が起きました。
その住民の声を受け、高速道路建設計画を撤回し、緑陰道路が建設されることになったそうです。

こちらは福住吉神社。

境内では梅も咲き始めており、いい匂いがしていました。

矢倉緑地公園は説明書きにもあるように、西の果てにあるため、局からも離れています。今回は訪問できず。

 

大阪 四條畷郵便局 風景印

〒575-8799
大阪府四條畷市中野本町25-20

使用開始年月日:2004(平成16)年4月1日
大久保利通自筆の碑 クスノキ 小楠公の墓

小楠(しょうなん)公と言うのは、南北朝時代の武将、楠木正行(くすのきまさつら)のことを差しています。
正行は楠木正成(くすのきまさしげ)の子です。1348年(正平3)年の四條畷の戦いで北朝方(足利尊氏方)の高師直(こうのもろなお)と戦って討ち死しました。

正行の遺骸はこの地に葬られ墓石が建てられたと伝えられています。その後80年経ち、墓石を挟むように2本のクスノキが植えられます。成長を続けたクスノキは墓石を包み込み2本が1本となって現在に至っています。
その時の墓石はクスノキに飲みこまれてしまったそうです。。。

現在墓所にある石碑は1878(明治11)年に建てられたもので、大久保利通の自筆による「贈従三位楠正行朝臣之墓」の銘が刻まれています。

で、墓石がこちら、、、

どうも風景印に描かれている石碑とは形が違うような、、、

風景印に描かれているのはこちらの石碑じゃないかと思うのですが。でも、これは大久保利通公が書かれたものかどうかはわかりませんでした。(そのようなことは書かれてませんでした)

真相はわからずです。

墓石は風景印にある通り、囲いの中にあるので、近づいてみることはできません。

2本が1本になったというクスノキ。。。立派です。

大阪 堺深井沢郵便局 風景印

〒599-8236
大阪府堺市中区深井沢町2486-10

使用開始年月日:2019(平成31)年2月1日
野々宮神社の鳥居 水賀池公園のつつじ 土塔

土塔は、堺出身の奈良時代の僧、行基が建立したとされる四十九院のひとつ大野寺の仏塔です。平安時代の「行基年譜」には神亀4年(727年)の起工と書かれているそうです。
平成21年4月復元整備によって創建当時の姿が再現されました。

野々宮神社の創建時期はわからないそうですが、永正年間(1504~1520年)の兵火によって消失したため現在の場所に移転したそうです。
広大な境内には「寛文三年」(1663年)の銘のある石灯籠一対や、「貞享三年」(1686年)の石灯籠など注目すべき石造遺物があります。
境内の「常陵郷(とこはか)の森」は堺市保存樹木に指定されています。

土塔へ行こうかどうしようかそっちばっかり考えていて、場所を確認していませんでしたが、神社は駅からすぐとのことだったので、寄ってみればよかったと後悔してます。。。

水賀池公園(みずがいけこうえん)は堤の全長が約800m、最深部が5mの大きな池で、堤の周辺にはヒラドツツジを中心に約2万本のツツジが植えられています。様々な色の花が咲くそうです。風景印の初日、ツツジが咲くころにしてもらいたかった・・・(^_^;)

風景印配備初日にその局へ行ってみたかったので、プチ満足。
でも、、、もっと郵頼を捌いてます!とかそういう雰囲気が流れているのかと思ったら、全くそんなことはなく、「日常の風景」な感じでした(;^_^A

大阪 岸和田城内郵便局 風景印

〒596-0078
大阪府岸和田市南上町1-36-25

使用開始年月日:1996(平成8)年9月2日
岸和田城
外枠 イイダコ

岸和田城の最初は和泉国守護であった楠木正成が甥の和田高家を岸和田に派遣して岸和田古城を築かせたところから始まります。「岸」と呼ばれていたこの地に和田氏が城を築いたことによって「岸の和田」と呼ばれ、「岸和田」へ変化したと言われていまます。岸和田古城(岸の城)がいつごろから現在の岸和田城に移ったのか明確ではないとのこと。

何故外枠がタコなのか・・・

1584年、岸和田城は敵の軍勢から攻められ、落城寸前となった時、大蛸に乗った一人の法師と数千の蛸がどこからともなく現われ、凄まじい勢いで敵兵をなぎ倒し、城の危機を救ったそうです。そして数日後、岸和田城のお堀から傷を無数に負った地蔵様が発見され、城内に大切に収めらたという伝説があります。
そのお地蔵さまは天性寺というお寺の内にある日本一大きいとされる地蔵堂に移され、今に至っているそうです。

岸和田城の最寄りの駅は南海電鉄の「蛸地蔵駅」です。
ここにも「蛸」が・・・

駅舎の中には素敵なステンドグラスが埋め込まれていますが、そのデザインがタコが敵をなぎ倒している図となっています(*^-^*)

大阪 岸和田駅前郵便局 風景印

〒596-0076
大阪府岸和田市野田町1-8-9

使用開始年月日:1999(平成11)年5月6日
市花・バラ 岸和田城
外枠 上半分がだんじりの大屋根と小屋根の輪郭

とてもフレンドリーな女性の局員さんが押印して下さいました。
岸和田市の風景印配備局7局のうち4局にだんじりのデザインが入っています。

 

大阪 岸和田本町郵便局 風景印

〒596-0074
大阪府岸和田市本町5-34

使用開始年月日:1997(平成9)年2月3日
だんじりを曳く風景 岸和田城

局の入り口の庇がだんじりの大屋根のデザインになっています。
局の中にも大屋根が飾られていました。

風景印、とても綺麗に押して頂きました。状態もよかったので、郵友さんにこの局からお便りを送ることにしました。

局前には丸ポスト📭

大阪 岸和田上町郵便局 風景印

〒596-0825
大阪府岸和田市土生町2-1-9

きしわだうえまちゆうびんきょく

使用開始年月日: 1988(平成10)年8月3日
岸和田城 だんじりの山車 葛城山
外枠 上半分が葛城山の稜線と岸和田城の天守閣

1334(元弘4)年、楠木正成の一族・和田高家が今の城よりも東側の野田町に築いたのが始まりとされる岸和田城。本丸と二の丸を連ねた形が、ちぎりに似ているため、千亀利城(ちきり城)とも呼ばれています(「ちきり」とは機(はた)のたて糸をまく器具のこと)。

「ちきり」という道具はこんな形だそうです。

 

sdr

現在の天守は昭和29年に市民の寄付や旧城主の子孫である岡部氏の要望などにより再建されたものです。

局員さんから、他にも回られるんですか?近くの局で風景印のある場所はご存知ですか?と声をかけてくださいました。
この日は下調べをしていたので、わかりますと答えましたが、親切に声をかけていただいて嬉しかったです(*^-^*)

大阪 岸和田郵便局 風景印

〒596-8799
大阪府岸和田市沼町33-33

使用開始年月日:1995(平成7)年8月15日
岸和田城 だんじり祭り 市花・バラ

1703(元禄16)年、岸和田藩主岡部長泰が、京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、米や麦、豆、あわやひえなどの5つの穀物がたくさん取れるように(五穀豊穣)祈願し、行った稲荷祭がその始まりと伝えられています。
1745年(延享2)年に、北町の茶屋新右衛門が大坂の祭を見聞し、牛頭天王社(現・岸城神社)の祭(旧暦6月13日)に献灯提灯を掲げたいと藩主に願い出て許可されたのが始まりである。と言う説もあるそうです。

大阪 枚方津田駅前郵便局 風景印

〒573-0125
大阪府枚方市津田駅前1-25-30

使用開始年月日:2000(平成12)年1月4日
関西文化学術研究都市の町並み

関西文化学術研究都市、愛称けいはんな学研都市は、1978年の関西学術研究都市調査懇談会(通称奥田懇談会)により提唱され、 1987年の関西文化学術研究都市建設促進法の施行を経て、京都・大阪・奈良の3府県にまたがる京阪奈丘陵において、 国家プロジェクトとして本格的に都市建設が始まりました。

現在では立地施設数が130を超え、産学官連携による多くの成果も生まれ、 我が国の文化学術研究の進展に大きく貢献しています。また、市民やNPOによる活動も年々盛んになり、 緑とのふれあいや知的で文化的な交流など学研都市らしいスタイルも生まれつつあります。

風景印をお願いすると、、、最初、図案は電車ですよ。と言われました。どうもその局員さんの勘違いだったようですが。ずっとそう思っておられたのでしょうか(-_-;)
しかも、その局員さんにご自分でどうぞ。押印を促されました。
自分の身長では窓口のカウンターは押印する場所としては高すぎるので、基本押印は受けないようにしています(というかそれが普通なんだと思うのですが、、、)が、断われない感じだったので、自分で押印すると思い切り失敗しました。
不穏な空気が流れる中、そのハガキを手数料を支払って、新しいハガキに交換してもらうことにして、今度は局員さんに押印してもらうようお願いしました。

大阪 日吉郵便局 風景印

〒550-0015
大阪府大阪市西区南堀江4-15-11

使用開始年月日:1997年(平成9年)3月1日
大阪市立中央図書館

1961年11月1日に開館した市立の公共図書館です。
江戸時代中期の日本の文人、文人画家、本草学者、蔵書家、コレクター「木村蒹葭堂」(きむらけんかどう)の邸宅跡地でもあるそうです。

地下鉄鶴見緑地線西長堀駅を出るとすぐ図書館があります。