「福井県」タグアーカイブ

福井 丸岡霞郵便局 風景印

〒910-0231
福井県坂井市丸岡町霞町1-1

丸岡霞

使用開始年月日:1980年(昭和55年)11月10日
丸岡城 一筆啓上の碑

丸岡城は、現存天守閣では最古(犬山城とどちらか?という論争もあるそうです)の建築様式を持つ平山城です。
別名「霞ヶ城」名の由来は合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説によるそうです。

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天守前に建てられている「一筆啓上  火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の碑は、徳川家康譜代第一の功臣で、鬼作左の勇名をとどろかせた本多作左衛門重次が、陣中から家族あてに書き送ったものです。日本で一番短い手紙の起源となっているそうです。

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丸岡霞-1

一筆啓上茶屋にあるお土産店で、フレーム切手入りのポストカードを発見。それを購入して、押印してもらいました。

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福井 福井宝永郵便局 風景印

〒910-0004
福井県福井市宝永3-35-16

福井宝永

使用開始年月日:1994年(平成6年)6月6日
養浩館庭園 市体育館 市花・アジサイ

少し違う趣ですが、こちらも福井開発局福井大手局と同じく養浩館庭園が描かれています。

福井市の体育館は屋根が特徴的ですね。

施設の案内を見ると、バスケットボールコート2面、バレーボールコート3面、バドミントン10面、卓球台24台、ハンドボールコート1面、テニスコート3面、フットサルコート1面とありました。

なかなか大きな体育館のようです。。。

福井 福井開発郵便局 風景印

〒910-0843
福井県福井市西開発2-204-2

福井開発

ふくいかいほつゆうびんきょく
使用開始年月日:1998年(平成10年)10月10日
名勝・養浩館庭園 市花・アジサイ

福井大手郵便局と同じく、養浩館が図案に入っています。

「養浩館」という名称は、明治17年(1884)に16代藩主・松平春嶽(しゅんがく)が命名。「物事にとらわれない、おおらかな心を持つ」ことを意味する孟子の言葉「浩然(こうぜん)の気を養う」が語源と言われています。

 

福井 福井大手郵便局 風景印

〒910-0005
福井県福井市大手2-3-20

福井大手

使用開始年月日:1993年(平成5年)8月9日
福井城 福井県庁 名勝 養浩館庭園

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福井県庁は福井城本丸跡に建てられています。
福井中央局の風景印にも描かれていた御本城橋を渡るとすぐに正面入り口があります。

養浩館庭園は元は福井藩主松平家の別邸でした。江戸時代には「御泉水屋敷」と呼ばれていたそうです。
明治時代、廃藩置県によって福井城は政府所有となりますが、御泉水屋敷の敷地は引き続き松平家の所有地として、その福井事務所や迎賓館としての機能を果たしました。
明治17年に松平春嶽によって「養浩館」と名づけられます。
昭和20年の福井空襲により惜しくも養浩館は焼失し、その後は長く本格的な修復は行われませんでしたが、昭和57年、国の名勝に指定されたのを機に、福井市によって復原整備が計画されます。江戸時代の文政6年(1823)に作られた「御泉水指図」を基本に、学術的な調査と復原工事が進められ、平成5年に完成、一般に公開されました。

福井 福井中央郵便局 風景印

〒910-8799
福井県福井市大手3-1-28

福井中央

使用開始年月日:1993年(平成5年)3月5日
越前時代行列 御本城橋 足羽山 県花 スイセン

越前時代行列は「ふくい春まつり」で行われる武者行列です。
福井にゆかりのある柴田勝家、松平春嶽など戦国武将やお市の方、武者隊等総勢600名が鎧兜に身をかため、市中心部で時代絵巻が繰り広げられるそうです。

御本城橋は福井城本丸の正面出入り口にあたる部分にかかる橋です。現在、本丸跡には福井県庁、県会議事堂、県警察本部などがあり、公園としても整備されています。

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夕暮れの御本城橋

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風景印と同じ角度の写真は夜景だけだったので、、、暗い(–;

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瓦御門跡からの御本城橋

福井中央局

自分での風景印の押印は今まで頑なに断ってきたのに、とうとうこちらでは断り切れず自分で押すことに・・・(^^;

福井 勝山郵便局 風景印

〒911-8799
福井県勝山市本町2-10-20

勝山

使用開始年月日:1989年(平成1年)11 月1日
奇祭 勝山左義長 カツヤマリュウ

勝山左義長は毎年2月最終土日にかけて行なわれており、福井県を代表する祭りだそうです。平成20年2月に福井県の無形民俗文化財に指定されています。
「お囃子」「絵行灯」「作り物」「押し絵」「短冊」などが2日間かけて行われます。
江戸時代には正月14日・15日行われており、明治以降新暦の2月14日・15日になりましたが、年によっては雪が多いことがあり雪の少なくなる24日・25日に変わっていきました。昭和57年から、2月最終土日ということになったそうです。

左義長というお祭りを知らなかったのですが、全国で小正月に行われている火祭りのことなんだそうです。お正月の門松や飾りもの、書初めなどを持ち寄って焼く、、、どんどみたいなもんですね。

勝山ではいつ始まったのか?というのは定かではないそうですが、1603年(慶長8年)の文献にはすでに左義長についての記述がされているそうです。

勝山

局のポストにも恐竜がいてましいた(^^)

福井 勝山元町郵便局 風景印

〒911-0804
福井県勝山市元町2-15-17

勝山元町

使用開始年月日:1999年(平成11年)2月22日
勝山藩校 成器堂 カツヤマリュウ

成器堂は1841年(天保12年)、藩の人材養成を目的に開校、初めは読書堂といったが1843年に成器堂に改称しました。 間口8間、奥行き5間の入り母屋造りで、破風に狐格子と懸魚(げぎょ)が飾られいるとのこと。
この講堂は他の建物と共に勝山城外大手門筋に建てられましたが1911年(明治44年)に現在の場所に移築されたそうです。

慌てて局を巡ったため、この建物を見に行くことができなくて残念(>_<)

恐竜は勝山立石局と同じ、カツヤマリュウです。

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福井県 勝山立石郵便局 風景印

〒9110804
福井県勝山市元町3-2-4

勝山立石

使用開始年月日:1999年(平成11年)2月10日
越前勝山城 カツヤマリュウ

勝山城とありますが、、、実際は天守風建築物で中は博物館です。天守風の建物の高さは57.8mあり、日本一の高さなんだそうです。姫路城天守に似せたコンクリート製模擬天守となっています。石垣には勝山市を流れる九頭竜川と、勝山市から発見される恐竜化石にちなんで9匹の龍が彫り込まれています。印が綺麗なので、城壁に彫られているが竜っぽいなぁっていうのもわかります。

実際、江戸時代に勝山市域を治めた勝山藩の城、勝山城がありましたが、天守台は存在したものの最後まで天守が造営されることはなく、その城跡も昭和40年代にはほぼ完全に消滅してしまったんだそうです。

勝山出身の実業家、相互タクシーの創業者である多田清の手により建築され、1992年(平成4年)7月19日に開館した。江戸時代の大名武具や染織品、合戦図屏風、清代の中原地域の民間刺繍、日本の近代書などを収集展示されています。現在は公益財団法人多田清文化教育記念財団が博物館を運営しているそうです。

カツヤマリュウはフクイラプトルのことで、1988年10月に発掘された際、学名が決まっていなかったのでカツヤマリュウという愛称で呼ばれたようです。白亜紀前期の獣脚類です。

2000年12月1日にこの種がカナダの地球科学専門誌に掲載されたことで「フクイラプトル キタダニエンシス」となりました。
肉食恐竜としては日本で初めて全身骨格が復元されています。

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こちらもJR福井駅前にいてます(^^;

勝山立石

勝山立石(宝)

 

福井 勝山沢郵便局

〒911-0801
福井県勝山市沢町2-3-9

勝山沢

使用開始年月日:1999年(平成11年)2月22日
スギヤマリュウ ミズバショウ スキーヤー 法恩寺山

関西からは行く人も多いと思われる「スキージャム勝山」が近くにあります。

スギヤマリュウというのは、1989年に発見された歯の化石の愛称だったようです。その後、2007年、北陸一帯に広がる手取層群で竜脚類の上腕骨が発見され、それに続き、歯や橈骨、尾椎、大腿骨など約20個の化石が発見されます。
歯の形はブラキオサウルスのものに似ていましたが、ブラキオサウルスよりは幅が狭く、他の近縁種よりは幅が広くなっていました。また尾椎にも中国遼寧省で見つかった近縁種と似た特徴が見られました。これらの特徴から新種と判明され、2010年に「フクイティタン・ニッポネンシス」と命名されたそうです。
白亜紀前期の竜殻類に分類され、体調は10mほどあったと考えられているそうです。

フクイティタン

JR福井駅前ではフクイティタンが出迎えてくれます(^^;
四六時中「グォォ~」っと鳴き声をあげています・・・

勝山沢