「東京都」タグアーカイブ

東京都 八王子西郵便局 風景印

〒193-8799
東京都八王子市散田町5-27-7

使用開始年月日:2019(令和1)年11月11日
薬王院の大天狗・小天狗 ケーブルカー 高尾山

高尾山薬王院は真言宗智山派の関東三大本山のひとつです。
山上の諸堂の中に天狗社があり、高尾山に古くから住むといわれる天狗を祀っているそうです。

風景印の図案変更で、11月11日から新しくなりました。
旧印は貰いそびれました(-_-;)
初日の押印でNさんよりお便りいただきました。
天狗をイメージしたデザインのお葉書です。手作りのスタンプだと思われます。。。器用だなぁ~(*’▽’)

東京 吉祥寺東町郵便局 風景印

〒180-0002
東京都武蔵野市吉祥寺東町3-3-4

きちじょうじひがしちょうゆうびんきょく
使用開始年月日:1997(平成9)年10月1日
市コミュニティセンター・画家故野田九浦旧宅 庭
むさしの囃子

野田 九浦(のだ きゅうほ 1879年12月22日 – 1971年11月2日)は日本画家です。本名は道三。「九甫」とも表記されます。祖父は漢文学者の野田笛浦。弟が脚本家の野田高梧。
晩年を吉祥寺で過ごし、その屋敷跡が市のコミュニティセンターとなっていて「九浦の家」と名付けられているそうです。

武蔵野市には、古くから伝わる「むさしのばやし」というお囃子があります。
その誕生は、150年以上も前、1862(文久2)年にさかのぼります。むさしのばやしは、武蔵野八幡神社のお祭りをにぎやかにするためにうまれたお囃子といわれています。当時は「吉祥寺囃子」と呼ばれ、大太鼓・小太鼓・鉦(かね)・笛の4つの楽器で演奏され、6つの組曲で構成されています。1971(昭和46)年に市の無形民俗文化財に指定されています。

Iさんより頂戴しました!ありがとうございます(*’▽’)

東京 東京流通センタービル内郵便局 風景印

〒143-0006
東京都大田区平和島6‐1‐1

使用年月日:1995年(平成7)3月3日~2017年(平成29)8月30日
流通センタービルA・B棟 東京モノレール
首都高速平和島クローバーチェンジ
外枠 ウメ

東京流通センターは、大田区平和島にある物流センター、およびそれを運営する企業です。
敷地内に4つの物流ビルを持ち、このうち先に作られたA棟・B棟は地上6階建て・延床面積が約17万平方メートルで5トントラックまでの車両が自由に行き来できる仕様(ダブルランプウェイ方式)となっています。
また道を1本隔てた場所には延床面積約36000平方メートルのC棟、同8700平方メートルのD棟があります。

この度、B棟が立て替えられ、7月に完成したため、風景印が変更されました。

使用開始日:2017年(平成29年)9月1日
東京流通センター物流ビルB棟(物流倉庫) 東京モノレール 
八重桜
外枠 サクラ

旧印はA・B棟が描かれていましたが、B棟だけになり、ウメがサクラに変わっています。

流通センターは、構内で働く方々、近隣そしてモノレールから見える風景に、季節感をとどけたいという願いを込め、1972年に八重桜を中心に250本 植樹され、今では約300本の桜に囲まれる名所になっているんだそうです。

東京 文京水道郵便局 風景印

〒112-0005
東京都文京区水道2-14-2

使用開始年月日:1996年(平成8年)8月8日
神田川 鯉 サクラ

神田川の元の名前は「平川」といい、現在の日本橋川の分流点付近から南流し、現在の丸の内・日比谷に入り込んでいた日比谷入江に注ぎ込む川でした。
1590年(天正18年)に江戸に入府した徳川家康は、海辺で井戸によって真水を満足に得ることができない江戸の飲料水を確保するために平川を改修し、井の頭池と善福寺池、妙正寺池を水源とする神田上水を整備しました。この改修により井の頭池を出て善福寺川、妙正寺川と合流する上流部分は現在の姿となり、神田上水は川の本流から目白で分流して小石川、本郷に水を供給するようになりました。

洪水がしばしば起きるということもあり、1980年代以降の川岸整備や放水路の増設によって治水が成されました。その際に植えられた桜が大きく育って、現在では花見スポットになっているそうです。

神田川には鯉がいるそうです。なんで鯉?!っと思ったら、ボウフラやユスリカ対策なんだそうです。
東京都と流域自治体と都民は神田川の水質改善策と環境改善の対策として 鯉を川に放流した結果 、鯉がボウフラを食べてユスリカが発生しなくなったそうです。

Iさんより頂戴しました。とても綺麗な印影で。。。風景印を大切にしてくださっている局なのかなと思います。

東京 中央勝どき郵便局 風景印

〒104-0054
東京都中央区勝どき1-7-1(勝どきサンスクェア2階)

使用開始年月日:1990年(平成2年)10月18日
勝鬨橋 ウォーターフロント計画による高層ビル ミヤコドリ 遊覧船

勝鬨橋は、隅田川のもっとも下流に架かる橋です。

日本で数少ない可動橋です。橋の両端部はアーチ橋となっており、中央部が上方に開く構造となっています。開く角度は最大70度、約70秒で全開。片側だけ開く操作も可能だったそうです。
現在はロックされ、橋は跳開することはないそうです。

昭和15年に国家的イベントとして計画された万国博覧会のメインゲートとして計画されました。
1933年(昭和8年)6月10日に工事を着手し、資材が不足する中、7年かかって、ようやく完成しました。
明治の時代より幾度となく架設計画がありましたが、なかなか実現には至らず、1905年(明治38)年1月18日に日露戦争における旅順(中華人民共和国、大連市の地名)陥落祝勝記念として有志により築地と月島を結ぶ「勝鬨の渡し」が設置されました。この渡しに由来して「勝鬨橋」と命名されました。

隅田川クルーズで勝鬨橋をくぐりました。局へ行くことはできなかったので郵頼です。

最後に橋が開いたのは1970年11月だそうです。橋が開くところを見てみたい!
やっぱりそう思っている人は少なくないようですが、メンテナンスにかかる費用が10億円ほどいるとか、今では交通量が当時とちがって増えているので橋をあげている場合ではないとか?で実現への道のりは長そうです。。。

 

東京 本所吾妻橋駅前郵便局 風景印

〒130-0001
東京都墨田区吾妻橋2-3-13

使用開始年月日:2015年(平成27年)5月25日
吾妻橋 屋形船 スカ イツリー アサヒビールの燃え盛る炎 サクラ
 外枠 区木・サクラ

墨田吾妻橋局から改称・移転された局です。

吾妻橋の創架は1774年(安永3年)10月17日のことで、それまでは「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があった場所です。
江戸時代に隅田川に架橋された5つの橋のうち最後の橋で、1769年(明和6年)4月に浅草花川戸の町人伊右衛門と下谷竜泉寺の源八の嘆願が幕府によって許可され、着工後5年で完成したそうです。
現在の橋は1931年(昭和6年)6月に竣工した3径間鋼ソリッドリブタイドアーチ橋で、橋長150m、幅員20mです。

こういう位置関係になっているとは知りませんでした。。。
真ん中の四角いビルがアサヒグループの本社ビルで、金色のオブジェがのっかってるビルが『スーパードライホール』です。

オブジェのデザインは、フランスのデザイナーのフィリップ・スタルク氏によるものだそうです。
スタルク氏はスーパードライホールの設計も担当されています。オブジェは燃え盛る炎をデザインしたもので、「フラムドール」(フランス語で金の炎)と呼ばれているんだとか。アサヒビールの燃える心を象徴しているそうです(^^;
オブジェが炎、そして下のスーパードライホールが聖火台をイメージして設計されたそうです。

吾妻橋の袂のクルーズ船乗り場から撮影したものです。

クルーズ船に乗ってお台場の方まで行ったのですが、船が出るまでの待ち時間で訪問しました。
押印、とてもお上手でした。

東京 両国郵便局 風景印

〒103-0004
東京都中央区東日本橋2-27-12

使用開始年月日:1999年(平成11年)4月1日
隅田川 両国橋 屋形船 花火 ヤナギ

隅田川は東京都北区の新岩淵水門で荒川から分岐し、東京湾に注ぐ全長23.5kmの一級河川です。
途中で新河岸川・石神井川・神田川・日本橋川などの支流河川と合流します。
古くは墨田川、角田川とも書いていました。

神田川と隅田川が合流している付近に両国橋はあります。
国道14号線です。

最初に架橋された江戸時代、下総国と武蔵国を跨ぐ橋だったため、「両国」と名前が付けられたそうです。

花火は、隅田川花火大会のものですね。
1732年(享保17年)に起こった全国的な大飢饉(享保の大飢饉)や江戸におけるコレラの流行を受けて、八代将軍徳川吉宗が死者の弔いと悪病退散を願って両国にて水神祭と施餓鬼を行いました。この際に花火を打ち上げて川開きを同時に行ったことが隅田川花火大会(前両国花火大会)の始まりといわれています。

隅田川クルーズ船から撮ったものです。
橋脚まで見えませんでしたが、袂の欄干には丸い玉が据えられているようです。花火玉を模したものだそうで。。。
今度は歩いて渡ったみたいものです!

風景印は随分前にいただいたものです。。。

東京 小笠原郵便局 風景印

〒100-2101
東京都小笠原村父島西町

使用開始年月日:1998年(平成10年)1月5日
ヤシの木 クジラ ハイビスカス

小笠原近海で確認されているクジラの種類は20種類以上なんだそうです。そんなにクジラの種類ってあるんだ・・・(;^_^A全然知らない。。。

小笠原ホエールウオッチング協会(OWA)という所があり、小笠原の海がクジラやイルカにとって楽園であり続けるよう、クジラに対する自主ルールを定め、運用を行っておられます。

20t未満の小型船の場合(要約)
•クジラから300m以内を減速水域とする。
•クジラから100m以内を侵入禁止水域とする。
ただしマッコウクジラについては50m
•クジラの進路や行動を妨げないようにする。

この自主ルールに係らない、特例学術研究、
 特例取材の船舶は赤色の「特例」旗を掲げています。

OWAのサイトより

小笠原行ってみたいなぁ~。そう思われる方はたくさんおられるんだと思います。

ですが・・・ちょっと行ってくる。という感覚では行けないのが小笠原(;^_^A

島への船が1週間に1往復しかないので、一度行くと1週間滞在ってことになるようです。

なので、郵便もタイミングが悪ければ2週間ぐらいかかるという・・・自分が出したのは5月20日。返ってきたのは6月2日でした。まさに、この2週間コースに当たってしまったのでした(^^;

東京 本郷五郵便局 風景印

〒113-0033
東京都文京区本郷5-9-7

使用開始年月日:2004年(平成16年)11月1日
菊坂に暮らしていた樋口一葉の肖像 菊坂の一葉旧居跡の井戸
一葉が通った質屋「伊勢屋」

5000円札でお馴染みの方ですね。明治時代の女流作家です。とても貧乏だったそうです。肺結核のため24歳の若さで亡くなられています。
樋口一葉は生涯で何度も引っ越しを重ねていますが、18~21歳の約3年間、菊坂で洗い張りや針仕事などの内職をして母と妹の3人で貧しい生活していました。
今でもその旧居、井戸が残されています。井戸は現在でもつかわれているそうです。
樋口一葉住居跡から菊坂をはさんで反対側に一葉が通った伊勢屋質店があります。家計を助けるため、何度も質屋に通ったそうです。土蔵の外壁は関東大震災後塗りなおしましたが、内部は当時のままだそうです。
文京区のHPによりますと、土日と樋口一葉の命日の11月23日には無料で見学できるとのことでした。

Uさんより頂戴しました。ありがとうございます!

東京 小川町郵便局 風景印

〒101-0052
東京都千代田区神田小川町3-22

おがわまちゆうびんきょく
使用開始年月日:1988年(昭和63年)9月1日
本 本屋 重文・ニコライ堂大聖堂

神田北神保町局も風景印に本が描かれていたし、その近所にあるこちらの局も本が描かれている・・・なぜ?
って思ったら、古書店が密集している所なのですね。
岩波書店、小学館などの出版社があったり、大学施設も多いため、この辺り一帯が本の街となっているそうです。

ニコライ堂は通称で、日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)聖ニコライに由来しているそうで、正式名称は「東京復活大聖堂」と言います。

建築面積は約800平方メートル、緑青を纏った高さ35メートルのドーム屋根が特徴で、日本で初めてで最大級の本格的なビザンティン様式の教会建築といわれているそうです。

Uさんが局巡りをして貰ってきて下さったものです。
本に書かれている文字まではっきりとわかり、とても状態がいいですね。
ありがとうございます(^^)