大阪天神祭の小型印が大阪天満宮付近にある6つの郵便局で開設されたので貰ってきました。
と言っても、全部の局を回るのは人出+暑さで断念。天神橋局に行けば6つすべてを押して貰えるので天神橋局で貰ってきました。
図案は天神祭の御迎人形の一部。
船渡御の一行を御旅所まで導くために作られた風流人形で、大きさは2メートルを超えます。
天神祭の歴史は古いですが、御迎人形が登場したのは江戸時代の元禄期。人形の多くが、浄瑠璃や歌舞伎の登場人物を題材としたものになっています。
御迎人形が必ず赤(緋)色を身につけているのは「疫病(疱瘡)祓い」という意味があります。
多いときには50体を超える人形があったそうですが、現在残っているのは16体だけだそうです。
<天満橋郵便局>
安倍保名(あべのやすな)。浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんお おうちかがみ)」の登場人物。伝説上の人物とされる。
<大阪中央>
羽柴秀吉。後の豊臣秀吉ですが、この人形は「絵本太公記」(江戸中期の人形浄瑠璃および歌舞伎の演目)の登場人物の秀吉がモデルになっているそうです。
<大阪OAPタワー内>
三番叟(さんばそう)。能の天下泰平を祈る儀礼曲「翁」に出てくる役の名前。狂言方が演じる。五穀豊穣を祈る為の舞。
<大阪天神橋>
酒田公時(さかたのきんとき)。坂田とも書くようです。
平安後期の武士で源頼光四天王の一人。幼名金太郎。
<大阪東天満>
鎮西八郎(源為朝)。平安時代の武将で、源頼朝の伯父にあたる。
幼少期より素行が悪く、13歳の時に父為義から勘当されて九州の鎮西に追放される。だが、「鎮西惣追捕使」(ちんぜいそうついぶし)の「鎮西八郎」と名乗り、九州でも暴れ回っていたという。鎮西八郎という名はそこから誕生した。
<大阪西天満>
木津勘助。本名中村勘助。1586年生まれ、1660没と伝わるが、不明な点が多い。 豊臣秀吉に仕え、堤防工事や新田開発に尽力した。また江戸時代には木津川を浚渫(しゅんせつ)し、水害を防いだ功績が認められ、市中川浚い御用係に任命されている。この頃から木津勘助と呼ばれるようになったようです。
天神橋筋商店街のアーケードの入り口には御迎人形をモチーフにした人形が飾られています。