「石川県」カテゴリーアーカイブ

石川 金沢玉川町郵便局 風景印

〒920-0863
石川県金沢市玉川町15-19(玉川ビル1階)

使用開始年月日:1997年(平成9年)3月3日
雪の中の市立玉川図書館別館

元は大蔵省臨時建築部によって建設された煙草工場で、1911年(明治44年)に起工し、1913年(大正2年)に完成しました。設計は旧石川県庁舎や国会議事堂などの設計を手掛けた矢橋賢吉氏。
1996年(平成8年)に登録有形文化財に登録されています。

単色でも雪が積もっている感じが伝わってくる、素敵な風景印です。Iさんより頂戴しました。ありがとうございます(^^)

石川 小松大川郵便局 風景印

〒923-0911
石川県小松市大川町3-8

使用開始年月日:1999年(平成11年)10月5日
白山の遠望 小松城址 桜並木

小松城は元々、戦国時代に一向一揆勢が築いた城砦を始まりとされ、前田利家の四男、前田利常の隠居城として知られています。
金沢城の支城でありながら、その規模は金沢城の約2倍ほどの広さを誇る、難攻不落の要塞だったそうです。天守台は五重天守閣が余裕で建つほどの規模にも関わらず、小さな二重三階の数奇屋造りの櫓が設けられ、内部は座敷が設けられていたそうです。
巨大な湖沼に浮かぶ、全国でも珍しい「浮き城」だったといわれています。

現在は小松高校の敷地内に天守台が残っているそうです。高校の敷地内ですが、見学はできるようです。

お友達からの頂きものです。

石川 金沢駅前郵便局 風景印

〒920-0852
石川県金沢市此花町5-6(金沢第1ビル1階)

使用開始年月日:2005年(平成17年)8月1日
おもてなしドーム 鼓門

金沢駅東口を出たところにあります。

おもてなしドームは雨や雪の多い金沢で「駅を降りた人に傘を差し出す、もてなしの心」を表現したドームです。
3,019枚ものガラスを使用し、金沢の玄関口に、明るく、雨にもぬれない広場を作り出しています。
鼓門は金沢の伝統芸能である加賀宝生の鼓をイメージした2脚の柱に、緩やかな曲面を描く屋根をかけたもの。
伝統と革新が共存する街である金沢を象徴する門になっています。

Iさんより頂戴しました。先日金沢駅を訪問したばかりなのですが、駅前にあるこちらの局ですが、5時までに行けなかったんです。ありがとうございます!

石川 金沢駅内郵便局 風景印

〒920-0858
石川県金沢市木ノ新保町1-1(JR金沢駅あんと内)

使用開始年月日:1997年(平成9年)3月20日
兼六園のことじ灯籠 駅構内の郵太郎ポスト

「昭和29年4月19日、日本国有鉄道金沢駅舎の落成を記念し、金沢の伝統工芸を代表する郷土色豊かな加賀人形を題材とした特殊郵便差出箱」
っとポスト右側に書いてありました。
昭和29年に作られた?!歴史の長いポストっだったのか。。。

60歳の誕生日と2015年北陸新幹線開業をきっかけに、キャラクターへと成長を遂げ、金沢の町をアピールしているそうです。
HPもありました。

石川 金沢中央郵便局 風景印

〒920-8799
石川県金沢市三社町1-1

使用開始年月日:1967年(昭和42年)6月1日
兼六園 ことじ灯籠 花菖蒲 金沢城石川門

ことじ灯籠は兼六園のシンボルとしてよく知られ、観光写真でも度々登場する2本脚の灯籠。粟ヶ崎(あわがさき:石川県粟ヶ崎市)の豪商、島崎氏が、十三代藩主、前田斉泰(なりやす)に献上したものです。 水面を照らすための雪見灯籠が変化したものです。形が楽器の琴の糸を支え、音を調整する琴柱(ことじ)に似ているため、その名が付いたと言われているのだとか。二股の脚は元々同じ長さだったのが、何かの原因で折れてしまい、今は石の上に片脚を乗せてバランスを保っています。

兼六園に二度も行ったのに、二度ともなぜかことじ灯籠を見ずに帰ってしまっている・・・(-_-;)

切手ギリギリに押印して欲しいとは言わないけど、ちょっとこれは切手にかかり過ぎていて残念💦

石川 柳田郵便局 風景印

〒928-0399
石川県鳳珠郡能登町柳田礼部30-1

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使用年月日:1991年(平成3)10月11日~2016年(平成28)11月30日
ささゆり ミズバショウ 柳田村の自然

柳田村は、石川県鳳至郡(ふげしぐん)にあった村。県北部に位置し、能登半島では唯一海がない内陸の村でした。「平成の大合併」により、石川県に残る最後の村となっていましたが、2005年3月1日に鳳至郡能都町・珠洲郡内浦町と合併して、鳳珠郡(ほうすぐん)能登町となってしまいました。

素敵な風景印だと思うのですが・・・柳田村もなくなってしまったし、町おこしにプラネタリウムを併設した観察館を建設したり、、、ということもあって新たな町のアピールもあるのでしょうか。この度図案が改正されました。

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使用開始年月日:2016年(平成28年)12月1日
能登半島の柳田をイメージするロゴ 特産品であるブルーベリー町花 ノトキリシマツツジ 星空の街100選をイメージする流れ星
外枠 星

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星が綺麗に見える町なんですね。望遠鏡を備えたコテージにお泊り。なんかもできるようです。星、見に行きたいなぁ~

 

 

石川 小松八幡町郵便局 風景印

〒923-0866
石川県小松市白嶺町1-17-1

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こまつやはたまちうゆびんきょく
使用開始年月日:1999年(平成11年)11月11日
白山 市木・松 重文・斎藤実盛の兜 芭蕉の句

斎藤実盛は平安時代末期の武士。初めは源為義、義朝のち平宗盛に仕え、平維盛軍に従って木曽義仲と戦いました。加賀国篠原の戦いでは白髪を黒く染めて奮戦するも、安宅 (あたか) で討死にしました。
幼少の頃、源義朝の命令で殺されそうになった義仲を木曽の中原兼遠に託して救ったことで恩義を感じていた義仲は、実盛が打ち取られたことを知り、たいそう悲しんだとされています。篠原古戦場のほど近くにある新堀川にかかる源平橋の袂には実盛の首を洗ったとされる「首洗池」があります。

実盛の兜は小松市にある多太神社にあるそうです。
奥の細道で芭蕉が多太神社を訪れた際、実盛の兜や錦を拝観され、句を詠まれました。キリギリスはコオロギのことを差すそうです。

Uちゃんからの頂きものです。

石川 矢田野郵便局 風景印

〒923-0304
石川県小松市下粟津町ツ47

矢田野

使用開始年月日:1997年(平成9年)9月9日
白山 こまつドーム

こまつドーム、愛称 ゆめたまご。施設は小松市が所有し、小松市施設管理公社が指定管理者として運営管理を行っています。1997年開場。幕屋根を有するドーム施設で、アリーナ中央部の屋根は開閉式になっているそうです。軟式野球、ソフトボール、サッカー、テニスなどスポーツの他、コンサートなどイベントにも使用されています。

立派な施設・・・に見えますが、規格を満たしていないため硬式野球はできないそうです(+o+)

小松ドーム

Uちゃんからのいただきものです。

 

石川 那谷郵便局 風景印

〒923-0336
石川県小松市那谷町サ3

石川那谷

使用開始年月日:1951年(昭和26年)1月1日
重文・那谷寺本殿 秋のもみじ 石段 灯籠

那谷(なた)寺は小松市にある高野山真言宗の別格本山です。
寺伝によれば、717年(養老元年)泰澄法師が、越前国江沼郡に千手観音を安置したのが始まりとされています。その後986年(寛和2年)花山法皇が行幸の折り岩窟で輝く観音三十三身の姿を感じ、求る観音霊場三十三カ所はすべてこの山に凝縮されるとして、西国三十三観音の一番「那智」と三十三番「谷汲」の山号から一字ずつを取り「自主山厳屋寺」から「那谷寺」へと改名したそうです。

那谷寺

本殿は「大悲閣」と呼ばれ、岩壁に寄って屋根を造らず唐木造、向拝、柿葺となり、四方の欄間に山上善右衛門作の透かし彫りが施されているそうです。

昨年Uちゃんからもらっていたのですが(ってそればっかり・・・)丸1年越しになってしまってごめんなさい。

灯籠はこの少し手前にあるようです。

石川 安宅郵便局 風景印

〒923-0003
石川県小松市安宅町ワ103-1

石川安宅

使用開始年月日:2000年(平成12年)6月10日
勧進帳 安宅の関の場を図案化したもの
外枠 勧進帳の巻物

安宅の関(あたかのせき)は、小松市の日本海側にある安宅に守護、富樫氏が設けたと言われる関所。(所説あるようで、関所があったかどうかははっきりしていないそうですが)
如意の渡しでのエピソードを元にした、源義経が武蔵坊弁慶らとともに奥州藤原氏の本拠地平泉を目指して通りかかり弁慶が偽りの勧進帳を読み義経だと見破りはしたものの関守・富樫泰家の同情で通過出来たという、歌舞伎の「勧進帳」で有名。

小松市にある安宅住吉神社には弁慶・富樫・義経の銅像があります。

安宅の関

「智仁勇」というのは弁慶の知恵、富樫の情、義経の勇気を表したものだそうです。

最初、像は弁慶と富樫氏の2体だけだったようです。(前の風景印(1984年3月23日~2000年6月9日)には富樫氏と弁慶の二人だけが描かれていました)
1995年に義経像が加わり、「智仁勇」を表す形になったのがきっかけだったのか、意匠変更がなされ、現在の風景印となっているようです。

風景印は去年Uちゃんがもらってきてくれたもので。それだけでもありがたいのに、安宅の関の写真を今年撮影してくれたのです。慌ただしい中、覚えていて、写真撮ってきてくれたことに感謝。