「福井県」カテゴリーアーカイブ

福井 勝山沢郵便局

〒911-0801
福井県勝山市沢町2-3-9

勝山沢

使用開始年月日:1999年(平成11年)2月22日
スギヤマリュウ ミズバショウ スキーヤー 法恩寺山

関西からは行く人も多いと思われる「スキージャム勝山」が近くにあります。

スギヤマリュウというのは、1989年に発見された歯の化石の愛称だったようです。その後、2007年、北陸一帯に広がる手取層群で竜脚類の上腕骨が発見され、それに続き、歯や橈骨、尾椎、大腿骨など約20個の化石が発見されます。
歯の形はブラキオサウルスのものに似ていましたが、ブラキオサウルスよりは幅が狭く、他の近縁種よりは幅が広くなっていました。また尾椎にも中国遼寧省で見つかった近縁種と似た特徴が見られました。これらの特徴から新種と判明され、2010年に「フクイティタン・ニッポネンシス」と命名されたそうです。
白亜紀前期の竜殻類に分類され、体調は10mほどあったと考えられているそうです。

フクイティタン

JR福井駅前ではフクイティタンが出迎えてくれます(^^;
四六時中「グォォ~」っと鳴き声をあげています・・・

勝山沢

福井 勝山滝波郵便局 風景印

〒911-0034
福井県勝山市滝波町3-307

勝山滝波

使用開始年月日:1999年(平成11年)2月22日
タキナミリュウ 市無形文化財 お面さん祭りの面 厨子

1988年、当時高校生だった小林快次氏(現・福井県立恐竜博物館)が、福井県立博物館の予備調査で長さ8cmの脛骨を発見。その発見で1982年8~7月の福井県教育庁文化課博物館準備係が行った調査でワニの化石と共に発見されていた長さ4cmの大腿骨も、本種のものであることが分かったそうです。
白亜紀前期、鳥盤類・角竜類・プシッタコサウルス類に分類されています。

お面さん祭りとは、滝波地区に伝えられている翁・父尉・三番叟の3面を開帳し、1年の幸福と豊作を祈念する行事です。精進潔斎した当番が厨子を組み立てお面を掛け、神前に、おしとぎ・酒・するめなどを供える。
これらの面については、1574年(天正2年)の平泉寺焼き討ちの際、小原村の者が持ち帰り、不吉なことがあったので川に投げ捨てられたものが、滝波村で拾われ祀られたと伝えられています。
毎年2月中頃に行われているそうです。
(粢(しとぎ)とは、「水に浸して柔らかくした生の米をついて粉にし、それを水でこねて 丸めた食べ物」のこと)

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福井 丸岡横地郵便局 風景印

〒910-0374
福井県坂井市丸岡町北横地15-1

丸岡横地

表子(ひょうこ)の米 たけくらべ山の遠景

応神天皇、神功皇后と継体天皇の皇女円弥媛(まるやひめ  日本で最も古いといわれる十郷用水を開削した)を祀る布久漏(ふくろ)神社で行われ、当地を流れる十郷用水の水の恵に感謝し、五穀豊穣を願う意味がこめられているそうです。
祭前の宵に、地区の若者数十名が公民館に集まり、太鼓の囃子にあわせて歌いながら肩を組み押し合いをする。
この行事を「おだしより」といい、昔は各家を廻っていたそうです。 続いて、各家が奉納したお初穂米を臼に入れ、米つきが始まります。
米は清水でとぎ、セイロで蒸し神前に供え、残りを「表児の米」と呼ぶ団子に丸め、参詣の人に箕に入れてまく。
翌日早朝には、表児の米を箕に入れて村中を廻り、各家では一升枡でこれを受け、神仏に供えた後に家内一同でこれを食べるんだそうです。

丈競山(たけくらべやま)は北峰(964.3m)と南峰(1,045m)の2峰からなる双耳峰です。名前の通り、双方の山が背を比べているようだからというのが名前の由来だそうです。

【廃局】福井 福井春山郵便局 風景印

〒910-0019
福井県福井市春山2-16-16

福井春山

使用年月日:1994(平成6年)6月6日~2015(平成28年)3月25日
橋本左内使用の初湯の井 アジサイ

橋本左内は江戸時代末期の思想家。大坂に出て適塾で医者の緒方洪庵や杉田成卿に師事し、蘭方医学を学び、福井藩主の松平春嶽(慶永)に側近として登用され、藩医や藩校・明道館学監心得となります。
西欧の先進技術の導入を構想し、帝国主義と地政学の観点から日本の安全保障を弁じた先覚者でもあったそうです。
大老、井伊直弼の手により安政の大獄で春嶽が隠居謹慎を命じられると、将軍継嗣問題に介入したことを問われて伝馬町牢屋敷(東京都中央区)で斬首されました。

そんな橋本左内の生誕の地である福井市春山二丁目には左内の初湯の井と言われる井戸があるそうです。

3月25日をもって廃局となってしまいました。

福井 福井豊島郵便局 風景印

〒 910-0857
福井県福井市豊島1-9-8

福井豊島

ふくいとよしまゆうびんきょく
使用年月日:1996年(平成8)8月8日~2015年(平成27)12月4日
北の庄城跡 戦国大名・柴田勝家像 県無形文化財・馬鹿ばやし
外枠 福井市章の形

柴田勝家(1522?~1583)は戦国時代の武将。織田信長に仕え、織田家の家老をつとめました。織田信長が本能寺の変で自害すると、織田家の後継者に信孝を推すが、信忠の息子である三法師を挙げる羽柴秀吉と対立。結局、信長の敵討ちをした秀吉に押し切られる形となり、織田家臣内での秀吉の地位は増大。またこの頃お市の方と結婚しています。しかし、そのまま秀吉との対立は深まり、賤ヶ岳にて秀吉と合戦、敗北。妻・お市の方と共に北ノ庄城で自害する。

北の庄城址は、柴田勝家が築造した北庄城の一部が考古学的発掘により初めて検出された遺構の上にあります。
北庄城は1575年(天正3)に築城がはじまり、織田信長の安土城天守(7層)をしのぐ、9層の天守閣をもつ日本最大級の城だったと記録に残っているそうです。
北の庄城址は柴田公園という公園になっているそうですが、その公園内に図案の柴田勝家像があるようです。

馬鹿ばやしは、面をつけ、太鼓や笛に合わせてこっけいに所作をするのが特徴。福井市手寄の火産霊(ほむすび)神社の5月24日の例祭に奉納される。

豊島・・・自分が読むなら近所に「てしま」と読む場所があるけど、東京では「としま」だよなぁ。。。って思って調べたら、読みは「とよしま」だった。普通に読むと「とよしま」だよなぁ(^^;

そんな豊島局は福井美幸郵便局と統合され、閉局となってしまいました。営業最終日の押印を郵頼しました。