「堺市」タグアーカイブ

大阪 堺深井沢郵便局 風景印

〒599-8236
大阪府堺市中区深井沢町2486-10

使用開始年月日:2019(平成31)年2月1日
野々宮神社の鳥居 水賀池公園のつつじ 土塔

土塔は、堺出身の奈良時代の僧、行基が建立したとされる四十九院のひとつ大野寺の仏塔です。平安時代の「行基年譜」には神亀4年(727年)の起工と書かれているそうです。
平成21年4月復元整備によって創建当時の姿が再現されました。

野々宮神社の創建時期はわからないそうですが、永正年間(1504~1520年)の兵火によって消失したため現在の場所に移転したそうです。
広大な境内には「寛文三年」(1663年)の銘のある石灯籠一対や、「貞享三年」(1686年)の石灯籠など注目すべき石造遺物があります。
境内の「常陵郷(とこはか)の森」は堺市保存樹木に指定されています。

土塔へ行こうかどうしようかそっちばっかり考えていて、場所を確認していませんでしたが、神社は駅からすぐとのことだったので、寄ってみればよかったと後悔してます。。。

水賀池公園(みずがいけこうえん)は堤の全長が約800m、最深部が5mの大きな池で、堤の周辺にはヒラドツツジを中心に約2万本のツツジが植えられています。様々な色の花が咲くそうです。風景印の初日、ツツジが咲くころにしてもらいたかった・・・(^_^;)

風景印配備初日にその局へ行ってみたかったので、プチ満足。
でも、、、もっと郵頼を捌いてます!とかそういう雰囲気が流れているのかと思ったら、全くそんなことはなく、「日常の風景」な感じでした(;^_^A

大阪 堺三宝郵便局 風景印

〒590-0906
大阪府堺市堺区三宝町4-256-6

さかいさんぽうゆうびんきょく
使用開始年月日:1999年(平成11年)11月11
旧堺燈台 河口慧海

地名は「さんぼう」ですが、局名は「さんぽう」と読みます。

河口慧海(かわぐちえかい 1886年~1945年)は黄檗宗の僧侶です。仏教学者にして探検家でもある方です。
仏陀本来の教えの意味が分かる物を求めて、梵語の原典とチベット語訳の仏典入手を決意され、日本人として初めてチベットへの入国を果たした方です。

南海本線七道駅に銅像があるはずなのですが、、、スルーしてしまいました。残念(-_-;)

同じ日に、旧堺燈台を訪れています。→旧堺燈台

大阪 堺海山郵便局 風景印

〒590-0982
大阪府堺市堺区海山町5-198

さかいかいさんゆうびんきょく
使用開始年月日:1999年(平成11年)11月11日
旧堺燈台 三宝公園

三宝(さんぼう)公園は堺区神南辺町にある公園です。面積は31684㎡あります。
「三宝」の地名は、発足時に人家のあった三ヶ村(南島新田・松屋新田・山本新田)が、宝暦年間に開発された新田であることに由来しています。

この局を訪問した日に旧堺燈台も見に行ってきました。→旧堺燈台

大阪 堺柳之町郵便局 風景印

〒590-0930
大阪府堺市堺区柳之町西1-1-2

使用開始年月日:1999年(平成11年)11月11日
旧堺燈台 阪堺電車

阪堺電気軌道(はんかいでんききどう)を略して阪堺電車。地元では「チン電」と呼ばれることも多いです。地元ではないですが「チン電」でわかります。。。
大阪市内と堺市内を走る路面電車です。

別の駅での風景ですが、局の前の大通りもこういう感じで道路上に軌道が敷設されています。
こういうのを併用軌道と言うそうなのですが、、、局からすぐ近くにある綾ノ町停留場から- 御陵前停留場間の併用軌道は「グリーンベルト式」の一般車両進入禁止(保守点検車両を除く)で・・・専用軌道に近い併用軌道。なんだそうです。ややこしい(;’∀’)

「グリーンベルト式併用軌道」とは、軌道と車道の間に植え込みを配して軌道と車道を区分したもので、車道の両外側には歩道が配されているそうです。

そう言われてみれば・・・写真は東玉出停留場- 住吉鳥居前停留場間の併用軌道の写真ですが、ちょっと違いますね。
そんな目線で見たことなかったので違いがあまりわかってませんでした。
今度はもうちょっとちゃんと見てみよう。

あまりにも派手な広告の電車ばかりで、あまり電車の写真を撮らなかったので、グリーンベルト式が確認できず残念。
きっと赤字路線なので広告費でちょっとでも賄いたいところなのですかね(^^;

この辺りまで来ると、もう旧堺燈台からは随分と離れてしまいます。

押印してくれた局員さんは閉局になった堺鉄鋼ビル内局におられた方のようでした。閉局の際、たくさん押印されたようで、慣れておられました。

大阪 堺七道郵便局 風景印

〒590-0911
大阪府堺市堺区七道西町12-11-1-107

使用開始年月日:1999年(平成11年)11月11
鉄砲鍛冶屋敷 旧堺燈台

種子島に伝わった鉄砲の製法を橘屋又三郎などが堺に伝えてから、堺は日本一の鉄砲生産地になりました。
現在、江戸時代の鉄砲鍛冶屋敷の面影を残す唯一の貴重な建築物で、市の指定有形文化財になっています。
江戸時代から続く堺の鉄砲鍛冶井上関右衛門の居宅兼作業場兼店舗で、「元禄二年堺大絵図」にも記載されており、わが国の町家建築としても最古の部類に属するとともに、堺を支えた鉄砲の生産現場が残されている建物としても貴重なものだそうです。

居宅として利用されているので、内部は非公開です。

風景印をお願いすると、ご自分で押してもらうことをお願いしています。と言われましたが・・・局員さんに押してもらいました(^^;
しぶしぶ・・・という感じで押してくれましたが、とても綺麗に押印してもらえました。局員さんも自画自賛でした(*^-^*)

 

大阪 堺材木町郵便局 風景印

〒590-0942
大阪府堺市堺区材木町東3-2-3

使用開始年月日:1987年(昭和62年)10月16日
旧堺燈台 大ソテツ 与謝野晶子の歌碑

旧堺燈台は堺の風景印のいくつかに登場していますが、現存する最古の木製洋式灯台のひとつです。
大ソテツは材木町にある妙国寺にあります。国指定の天然記念物(1924年12月9日指定)で樹齢1100年余あると言われています。
現在の5000円札にもなっている与謝野晶子さんは堺市生まれです。
堺には多数の歌碑があります。
どの歌碑のことを差しているのかわからなかったのですが・・・

Iさんより頂戴しました(^^)ありがとうございます!

大阪 堺南海駅駅内郵便局 風景印

〒590-0985
大阪府堺市堺区戎島町3-22-1

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使用開始年月日:1999年(平成11年)11 月11日
旧堺燈台 旧堺港俯瞰

旧堺燈台は現存する最古の木製洋式燈台のうちの一つです。1968年にその役目は終えましたが、今でも堺市のシンボルとして愛されています。風景印を押印してもらうと共に、燈台も見に行って来たので、興味がある方はコチラをどうぞ。。。

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大阪 堺戎島郵便局 風景印

〒590-0985
大阪府堺市堺区戎島町1-34-2%e5%a0%ba%e6%88%8e%e5%b3%b6

使用開始年月日:1999年(平成11年)11月11日
旧堺灯台 ザビエル公園

局から橋を渡ってすぐのところに公園はあります。(11月16日訪問)

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戎公園はイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが1550年(天文19年)、堺に立ち寄った際に、手厚くもてなしたとされる豪商日比屋了慶の屋敷跡付近に1947年(昭和22年)に計画されました。また、1949年(昭和24年)の公園開設がフランシスコ・ザビエル来航400年であったことから、それを記念してザビエル公園という名称が使われるようになったそうです。

看板を撮ろうと思ったら、ちょうどそこへ、かくれんぼをしていた子供たちが身を隠しにやってきました(あんまり隠れてませんが、本人たちは隠れているつもりなので^^;)
看板をじっと見つめていると、一人の子が「撮るん?・・・撮るんですか?」って聞いてきたので、一瞬だけしゃがんでもらって写真を撮らせてもらいました(^^)
元気があっていいなぁ。こうやって子供たちは外で遊ぶのが一番だよねぇと思いました。。。

さて、肝心の図案と一致するものはどこにあるのか・・・と探したのですが、、、時間があまりなく、さらっと見ただけですがわかりませんでした。局で聞けばよかったー(-_-;)

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日が傾くのが早くなって、西日が強くてなかなか写真も撮れませんが、、、レンガ造りの藤棚がありました。これかなぁ?

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こんな遊具もありました。
イメージは南蛮船?!

風景印は先日Iさんより頂戴したものです(^^)ありがというございます!

大阪 泉北郵便局 風景印

〒590-0199
大阪府堺市南区若松台3-1-3

泉北

使用開始年月日:1978年(昭和53年)5月6日
国宝・桜井神社割拝殿 郷土芸能「こおどり」の面 泉北ニュータウンの高層住宅

小型印と共に郵頼しました。
だいぶくたびれちゃってますねぇ。。。

桜井神社の創建は推古5年(597)。祭神は誉田別命・足仲彦命・息長帯比売命で別名・上神谷八幡宮とも呼ばれたそうです。
戦国時代に兵火に遭い、多くの社が荒廃しました。そのなかで焼失をまぬかれたのが、現在、国宝に指定されている拝殿です。
鎌倉時代に建造されたと考えられていますが、鎌倉時代に建造された神社建築のなかで現存するものはきわめて少なく、その点でも貴重な遺構なんだそうです。

この桜井神社拝殿前で奉納されるのが国の無形民族文化財である「上神谷(にわだに)のこおどり」です。毎年秋祭の10月の第1日曜日に行われているそうです。

ヒメコと呼ばれる魔よけの紙花を挿した竹籠を背負った鬼神2人と三尺棒を持った天狗2人を中心に17人が踊りを演じるそうです。

泉北ニュータウンは、大阪府の泉北丘陵住宅地区開発事業によって計画され、事業期間は1965年(昭和40年)から1982年(昭和57年)。1967年(昭和42年)から入居を開始。開発面積は1,557ha、計画人口は約18万人、計画戸数は約54,000戸(堺市53,500戸+和泉市500戸)
2015年12月時点で、約57,600世帯、約127,800人が居住しています。

泉北ニュータウンの高層住宅としか説明書きにはありませんが、、、この建物、「ヤングタウン」ではないかと思います。単身者向けの高層アパートで、できた当時(昭和40年代)は、門限(23時)があって、トイレ・炊事場・風呂共同のワンルームスタイル。
男子棟・女子棟・企業棟がありました。入居には年齢制限もあったと思います・・・
まぁそんなスタイルがウケなくなってゆき、、、門限の撤廃やらなんやらと規制緩和があったようですが、建物の老朽化もあったりで、施設の区域は民間に売却されて、現在は分譲マンションが建ったり、学校が建ったりしているようです。
バス停の名前だけ今でもヤングタウンってなってるみたい(^^;