「旧堺燈台」タグアーカイブ

大阪 堺三宝郵便局 風景印

〒590-0906
大阪府堺市堺区三宝町4-256-6

さかいさんぽうゆうびんきょく
使用開始年月日:1999年(平成11年)11月11
旧堺燈台 河口慧海

地名は「さんぼう」ですが、局名は「さんぽう」と読みます。

河口慧海(かわぐちえかい 1886年~1945年)は黄檗宗の僧侶です。仏教学者にして探検家でもある方です。
仏陀本来の教えの意味が分かる物を求めて、梵語の原典とチベット語訳の仏典入手を決意され、日本人として初めてチベットへの入国を果たした方です。

南海本線七道駅に銅像があるはずなのですが、、、スルーしてしまいました。残念(-_-;)

同じ日に、旧堺燈台を訪れています。→旧堺燈台

大阪 堺海山郵便局 風景印

〒590-0982
大阪府堺市堺区海山町5-198

さかいかいさんゆうびんきょく
使用開始年月日:1999年(平成11年)11月11日
旧堺燈台 三宝公園

三宝(さんぼう)公園は堺区神南辺町にある公園です。面積は31684㎡あります。
「三宝」の地名は、発足時に人家のあった三ヶ村(南島新田・松屋新田・山本新田)が、宝暦年間に開発された新田であることに由来しています。

この局を訪問した日に旧堺燈台も見に行ってきました。→旧堺燈台

大阪 堺柳之町郵便局 風景印

〒590-0930
大阪府堺市堺区柳之町西1-1-2

使用開始年月日:1999年(平成11年)11月11日
旧堺燈台 阪堺電車

阪堺電気軌道(はんかいでんききどう)を略して阪堺電車。地元では「チン電」と呼ばれることも多いです。地元ではないですが「チン電」でわかります。。。
大阪市内と堺市内を走る路面電車です。

別の駅での風景ですが、局の前の大通りもこういう感じで道路上に軌道が敷設されています。
こういうのを併用軌道と言うそうなのですが、、、局からすぐ近くにある綾ノ町停留場から- 御陵前停留場間の併用軌道は「グリーンベルト式」の一般車両進入禁止(保守点検車両を除く)で・・・専用軌道に近い併用軌道。なんだそうです。ややこしい(;’∀’)

「グリーンベルト式併用軌道」とは、軌道と車道の間に植え込みを配して軌道と車道を区分したもので、車道の両外側には歩道が配されているそうです。

そう言われてみれば・・・写真は東玉出停留場- 住吉鳥居前停留場間の併用軌道の写真ですが、ちょっと違いますね。
そんな目線で見たことなかったので違いがあまりわかってませんでした。
今度はもうちょっとちゃんと見てみよう。

あまりにも派手な広告の電車ばかりで、あまり電車の写真を撮らなかったので、グリーンベルト式が確認できず残念。
きっと赤字路線なので広告費でちょっとでも賄いたいところなのですかね(^^;

この辺りまで来ると、もう旧堺燈台からは随分と離れてしまいます。

押印してくれた局員さんは閉局になった堺鉄鋼ビル内局におられた方のようでした。閉局の際、たくさん押印されたようで、慣れておられました。

大阪 堺七道郵便局 風景印

〒590-0911
大阪府堺市堺区七道西町12-11-1-107

使用開始年月日:1999年(平成11年)11月11
鉄砲鍛冶屋敷 旧堺燈台

種子島に伝わった鉄砲の製法を橘屋又三郎などが堺に伝えてから、堺は日本一の鉄砲生産地になりました。
現在、江戸時代の鉄砲鍛冶屋敷の面影を残す唯一の貴重な建築物で、市の指定有形文化財になっています。
江戸時代から続く堺の鉄砲鍛冶井上関右衛門の居宅兼作業場兼店舗で、「元禄二年堺大絵図」にも記載されており、わが国の町家建築としても最古の部類に属するとともに、堺を支えた鉄砲の生産現場が残されている建物としても貴重なものだそうです。

居宅として利用されているので、内部は非公開です。

風景印をお願いすると、ご自分で押してもらうことをお願いしています。と言われましたが・・・局員さんに押してもらいました(^^;
しぶしぶ・・・という感じで押してくれましたが、とても綺麗に押印してもらえました。局員さんも自画自賛でした(*^-^*)

 

大阪 堺材木町郵便局 風景印

〒590-0942
大阪府堺市堺区材木町東3-2-3

使用開始年月日:1987年(昭和62年)10月16日
旧堺燈台 大ソテツ 与謝野晶子の歌碑

旧堺燈台は堺の風景印のいくつかに登場していますが、現存する最古の木製洋式灯台のひとつです。
大ソテツは材木町にある妙国寺にあります。国指定の天然記念物(1924年12月9日指定)で樹齢1100年余あると言われています。
現在の5000円札にもなっている与謝野晶子さんは堺市生まれです。
堺には多数の歌碑があります。
どの歌碑のことを差しているのかわからなかったのですが・・・

Iさんより頂戴しました(^^)ありがとうございます!

大阪 堺南海駅駅内郵便局 風景印

〒590-0985
大阪府堺市堺区戎島町3-22-1

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使用開始年月日:1999年(平成11年)11 月11日
旧堺燈台 旧堺港俯瞰

旧堺燈台は現存する最古の木製洋式燈台のうちの一つです。1968年にその役目は終えましたが、今でも堺市のシンボルとして愛されています。風景印を押印してもらうと共に、燈台も見に行って来たので、興味がある方はコチラをどうぞ。。。

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旧堺燈台

11月16日、現存する最古の木製洋式灯台のひとつとして国の史跡に指定されている旧堺燈台を見に行きました。

他の用事があって堺へ行ったのですが、天気もよかったので、見に行くなら今日だな。と思い・・・南海堺駅を降りて燈台を目指しました。

駅にちょうど観光案内所があったので、歩いたらどれぐらいかかりますか?って尋ねたら、とても丁寧に道のりまで教えてくださいました。

南蛮人がいる橋を越えて・・・川沿いを歩いてくださいって言われたけど・・・

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ほ、ほんまや。南蛮人が佇んでる・・・(;’∀’)

川沿いを歩くと・・・程なく海が見えてきます。

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今度は海に向かって手を挙げている方が・・・

呂宋 助左衛門(るそんすけざえもん)の像のようです。
戦国時代の堺の貿易商です。

そんな助左衛門が手を挙げている海の方を見ると・・・

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対岸にも大きな像が・・・

「乙姫さん」こと龍女神像です。像の高さ10m、台座の高さは16mもあるそうです。
この辺りは明治から大正にかけて海浜リゾート地としてにぎわったところで、明治36年、第5回内国勧業博覧会の際に、当時東洋一を誇った大浜水族館前に設置されたのが初代龍女神像です。昭和36年水族館の閉館と共に撤去されましたが、平成12年に市内の彫刻家・岡村哲伸氏の手により甦ったそうです。

そんな像を遠めに見ながらさらに進んでいきます。

歩いてると壁画が見えてきますよ。という案内所のお姉さんのお話し通り、対岸の工場の壁に大きな壁画が見えてきました。

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南蛮貿易で栄えた当時の堺の港をイメージした、幅155メートルの日本最大級の壁画です。
ノボパンってアルファベットで書かれています。日本ノボパン工業(木廃材チップから再生成形 材をつくっているそうです・・・)と言う会社の工場の壁に描かれています。

おぉ~でかい!と思っていたら、可愛いサイズの灯台が目の前に見えてきました。

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阪神高速湾岸線の下をくぐると・・・

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到着しました。

1877年(明治10年)に建設され、1968年(昭和43年)に役目を終えるまで約1世紀もの間、大阪の海を照らし続けました。建設当時の場所に現存する木造様式燈台としては日本最古のもののひとつで、1972年(昭和47年)に国の史跡に指定されています。六角錘形の木造洋式灯台で、高さは11.3mあります。当初の光源は石油ランプを使い、約18キロメートル先まで灯台の光が届いたそうです。

普段は内部の公開はされてませんが、年に2日間だけ内部が公開される日があるようです。ライトアップもされるそうで、、、是非公開の日に行ってみたいです。