「大阪市」タグアーカイブ

大阪 大阪築港郵便局風景印

〒552-0021
大阪府大阪市港区築港3丁目-15

大阪築港

使用開始年月日:1994年(平成6年)9月1日
海遊館 サンタマリア号 区花・桜

DSC_0351

海遊館は天保山にある水族館で1990年7月20日に開館した。

DSC_0352

サンタマリア号と言えば1492年にクリストファーコロンブスによる初の大西洋横断航海の時に使われた船として有名だけど・・・これは大阪港を周遊する遊覧船で、コロンブスのサンタマリア号の約2倍の大きさで復元されたものです。

DSC_0356

デイクルーズ(45分)とナイトクルーズ(60分)があります。
夏休み時期の訪問だったからか・・・海外の方も多く見受けられた。

 

大阪 港弁天郵便局 風景印

〒552-0007
大阪府大阪市港区弁天2丁目5-27

港弁天

使用開始年月日:1994年(平成6年)9月1日
弁天埠頭の船 オーク(ORC)200 区花・桜

弁天埠頭はその昔、フェリーターミナルとして栄えていました。
しかし・・・現在その機能は天保山や南港などへ移っており、客船が発着することはありません。

オーク(ORC)200は大阪市が弁天町駅前の3ヘクタールの開発の為、1993年2月に竣工した。ORCは「大阪リゾートシティ」の頭文字、200は最高部の高さが 200m あることに因んでいるそうです。

DSC_0299

現在もフェリーターミナルの建物は残されています。一部は貸し店舗として営業されているようです。

大阪 天神橋三郵便局 風景印

〒530-0041
大阪府大阪市北区天神橋3-11-1

天神橋三

天神天満ほっとなかよし 夫婦橋

局のすぐ近くにある夫婦橋(復元された欄干のみ)、そのたもとにある「天神天満ほっとなかよし」の像?が図案になっている。

20150420_142248

夫婦橋の由来を記した碑が橋のたもとにある。

夫婦橋は、旧天満堀川が天神橋筋と交差する所に架けられていた。
堀川は、当初豊臣秀吉時代の慶長3年(1598)に一部が開削され、その後天保9年(1838)に扇町から東北へ延伸された。夫婦橋はこの堀川の延伸に伴って架けられたものである。
延伸前ここに女夫池という池があった。この名の起こりについては二説あるが、その一説に昔この辺りに仲睦まじい若夫婦が住んでいた。わけあって夫は妻に三年間待ってほしいと言い置いて他国へ出かけた。期限が過ぎても帰って来ないので、妻は思い余って池に身を投げて死んだ。その後夫が戻って来るが妻の死を知り、後を追って入水して果てた。世人これを哀れんで女夫池と呼んだという。v 天満堀川延伸により池は埋められ能勢家の邸と妙見堂が建てられた。
縁日にはこの「夫婦池の妙見さん」は参詣人で大変賑わったという。
夫婦橋は、昭和四年に一径間鋼鈑桁の近代橋に生まれかわった。
戦後堀川は環境が悪化したので埋め立てられることとなり、川筋は阪神高速道路の高架橋の下に入り、この辺り天保9年に開削された処も昭和47年には変面道路となり現在に至っている。                             平成11年 大阪市

女夫池、つまり夫婦池は、元々朝来池という池があったところの傍らにもう一つ池を掘って女夫池となる。天保8年(1837)頃堀川に淀川の水を通すため開削し、女夫橋が架けられていたようだ。

20150420_142328

橋の現在の姿。

碑にある通り、阪神高速の下にあり、橋はなく残っているのは欄干だけ。欄干も1999年に復元されたものだそうだ。

ほっとなかよしの像についてはなぜここにあるのか、わからずじまい。写真を撮ろうとしたが、、、そこにはお昼寝をしている人が(–;また今度ということで。

天神橋三

なかなか自分で再訪する機会がないのですが、お友達が行ってきたーって写真送ってくれはったんで、外観を掲載してみます(^^)

後日、通りがかる機会がやってきたので写真撮ってみました。

【局名改称】大阪 弁天町オーク内郵便局 風景印

〒552-0007
大阪府大阪市港区弁天1-2-4-100

弁天町オーク内郵便局

使用年月日:1994(平成6)年9月1日~2019(平成31)3月1日
オークタワー 弁天埠頭 さくら
外枠 環状線線路図

環状線の路線図が外枠にあしらわれている。

局名改称の案内を見た際、あぁ、オークタワーの名前が変わるんだなというのは容易に考えられたのですが、調べたら、昨年3月26日に大阪ベイタワーって言う名前に変わってました(;^_^A

改称後も風景印の図案は同じです。

大阪 夕凪橋郵便局 風景印

〒552-0004
大阪府大阪市港区夕凪1-2-15

DSC_0292

甚兵衛渡、尻無川水門、区花 桜

DSC_0330

尻無川は大阪市南西部を流れる淀川水系の下流における分流で一級河川。西区、港区と大正区との境界を成しながら南西に流れ、下流では大正内港を分けて大阪湾南部へ注ぐ。
そこに設置された尻無川水門は高潮を防ぐ働きをもっている。

渡船場マップ

水都大阪には数多くの河川があり、人々の通航の為、古くから各所に渡船がありました。現在、橋が架けられたり、道路が整備されたりして数は減りましたが、大型船の航行などがあり、橋をかけられない場所等の8カ所に渡船場があります。

甚兵衛渡は尻無川を渡る渡船場で、大正区泉尾7丁目と港区福崎1丁目を結んでいます。川幅の距離は94m。1分で対岸へ到着する。
しかし、ラッシュ時は2隻の船が随時運航していて(昼間は15分間隔)大阪渡船の中では最も利用者数が多く、一日平均約1500人程度の利用があります。

昔甚兵衛さんという人が設けた渡船が始まりで、今でも渡船場の名前として残されている。

DSC_0337

 

DSC_0334

ほんとにすぐ目の前に見えているのだけど、、、対岸に行くにはかなりの大回りが必要。。。
この渡船があるのとないのとでは大違い。道路の一部としてみなされているので無料で乗船できます。

局は2年前に移転してきたらしい。まだ新しさが残っていた。局員さんは風景印をあまり押したことがないのか、何度も試し押しをして、緊張するなぁ。。。と言いながら一生懸命押してくれました。一生懸命すぎて、ブレましたが(^^;