〒014-0027
秋田県大仙市大曲通町5-2
使用開始年月日:1985年(昭和60年)6月1日
神輿パレード 大曲花火大会
大曲の花火大会が行われる時期を「大曲ウィーク」として、様々なイベントが行われているようです。
その中で、「夏まつり大曲」という日があり、神輿渡御があるようです。
図案は大曲獅子の會の「二百貫神輿」だと思われます。
少し古いですが、大仙市の公式ブログの2011年の記事にて紹介されていました。
こちらもTさんからの頂き物です。
〒014-0027
秋田県大仙市大曲通町5-2
使用開始年月日:1985年(昭和60年)6月1日
神輿パレード 大曲花火大会
大曲の花火大会が行われる時期を「大曲ウィーク」として、様々なイベントが行われているようです。
その中で、「夏まつり大曲」という日があり、神輿渡御があるようです。
図案は大曲獅子の會の「二百貫神輿」だと思われます。
少し古いですが、大仙市の公式ブログの2011年の記事にて紹介されていました。
こちらもTさんからの頂き物です。
〒014-0046
秋田県大仙市大曲田町20-24
使用開始年月日:1993年(平成5年)年3月25日
重文・古四王神社 大曲の花火 鳥海山
1570年創祀。
祭神は大彦命(おおひこのみこと)、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、豊受神(とようけのおおかみ)、建御名方命(たけみなかたのみこと)、八坂刀売命(やさかとめのみこと)、水波女神(みつはのめのかみ)。
室町時代末期にこの地方の領主戸沢氏、奉行冨樫氏のもとで、戦火からの守りと領民が穏やかで平和に暮らすことを願い建立したとされています。飛騨の名工甚兵衛の作とされ、様式にとらわれない豪快な組み合わせ建築と優雅な彫刻が特徴の室町時代の代表的な建築物。
本殿は1954年(昭和29年)重要文化財に指定されました。
鳥海(ちょうかい)山は秋田県と山形県にまたがる標高2236mの活火山です。山頂に雪が積もった姿が富士山に似ていることから「出羽富士」とも呼ばれ、親しまれているそうです。
大曲の花火の風景印シリーズを局巡りで貰ってきて下さったTさんからの頂き物です。
〒188-8799
東京都西東京市田無町3丁目2-2
使用開始年月日:2004年(平成16年)3月29日
多摩六都科学館 スカイタワー西東京 保谷こもれびホール 秩父連峰
多摩六都科学館(図案左)は1994年3月1日に開館。多摩六都とは、多摩北部地域の小平・東村山・田無・保谷(ほうや)・清瀬・東久留米の6市を意味している。田無市と保谷市が2002年に合併して西東京市となったため、現在は5市ですが、名称は変わっていません。
最新鋭の投映機「CHIRONⅡ(ケイロンⅡ)」を導入し、「最も先進的なプラネタリウム」としてギネス世界記録に認定されています。
スカイタワー西東京(図案中央)は、1989年(平成元年)6月に完成した多目的電波塔です。地上高195m。
翌日の午前中の天気予報として、夜間(18時~0時)にライトアップの色分けを行っているそうです。クリスマスシーズンには特別に赤と緑のストライプなどの特別ライトアップが行われるとか!
多摩六都科学館に隣接しているようです。
保谷こもれびホール」(図案右)はクラシック、ジャズ、ポップスなどのコンサート、バレエや 演劇、落語など色々な公園が行われている。リハーサル室や音楽練習室、AVルームなどもあります。本格的なホールになっているようです。
小型印とともに郵頼でいただきました!
国史跡 下野谷遺跡の小型印を郵頼しました。
下野谷遺跡は縄文時代中期(今から約4千年~5千年前)の環状集落であり、南関東では傑出した規模と内容を持っています。
直径約150メートルの集落は、住居跡群、墓と考えられる穴土坑(どこう)(墓などと考えられる穴)群、掘立柱建物(倉庫などと考えられる建物)群などで構成されており、縄文時代中期の典型的な形態をしています。さらに、谷を挟んだ東側には、下野谷遺跡東集落というべき、ほぼ同時期の環状集落が存在しています。(西東京市のサイトより)
今年の3月に未来に残すべき貴重な文化遺産として国の史跡に指定されました。
図案は縄文土器と下野谷遺跡のキャラクター「しーた」と「のーや」です。
下野谷遺跡に関する小型印は保谷富士町、保谷東伏見局からも出されており、期間は来年1月12日まで設けられているのだけど、郵頼は11月10日必着(>_<)
1つしか郵頼することが出来ませんでした・・・残念。
〒014-8799
秋田県大仙市佐野町1-19
使用開始年月日:1986年(昭和61年)8月1日
花火 太平山遠望
大曲の花火大会は例年8月第4土曜日に開催される。日本三大花火大会のうちの1つです。
「大曲の花火」と呼ばれている数ある全国花火競技会と名を打った花火大会の中で「全国花火競技大会」と言えば当大会を指すそうで、規模、権威ともに日本最大の花火大会なんだそうです。
大仙市大曲地区にある諏訪神社祭典の余興花火として1910年(明治43年)に「第一回奥羽六県煙火共進会」が開催(仙北新報(現・秋田民報主催)されたのが始まりとされ、1915年(大正4年)によりレベルの高いものを目指し全国花火競技大会と名前を変え規模を全国に広げました。
太平山(たいへいざん)とは、秋田県中央部、秋田市と小阿仁村とにまたがる山。標高1170メートル。秋田市内から気軽に行ける山で、路線バスでかなり近くまで近付け、ハイキングコースとしても人気のある山だそうです。
Tさんが大曲の花火を風景印としている局を巡って送って下さいました。
〒923-1101
石川県能美市粟生町チ140
あおゆうびんきょく
使用開始年月日:2000年(平成12年)12月12日
粟生大橋 清流手取川 白山 粟生じょんがら踊り
外枠 町文化財 獅子頭
粟生の獅子舞は、明治初頭に粟生町の若者が野々市町の若者から棒振りを伝習したことに始まるという。現在、獅子舞は青年団を中心とする伝統芸能粟生獅子舞保存会で管理運営され、保存継承されているそうです。
外枠はずっと鈴か何かだと思っていました(^^;獅子頭だったんですね。。。
友達が局巡りで貰ってきてくれたものです。まだまだいっぱいあるんだけど・・・(^^;
〒547-8799
大阪府大阪市平野区平野西3-1-5
使用開始年月日:2007年(平成19年)10月1日
重文・杭全神社第一本殿 天然記念物・クスノキの老木
外枠 区花・ワタ
平安の初期、征夷大将軍坂上田村麿の子、広野麿が杭全荘を領地として賜ってこの地に居を構え、その子当道が貞観四年(862)に氏神として素盞嗚尊を勧請し祇園社を創建したのが第一殿だそうです。(杭全神社HPより)明治に入って、「杭全(くまた)神社」という社名になった。
現在の第一殿は1690年(元禄3年)建立。一間社春日造、檜皮葺き。
天然記念物のクスノキは杭全神社内にあります。1949年(昭和24年)に制定されました。幹周は7.85m、樹高は19.5m。樹齢800年~1000年ほどだそうです。
江戸時代、平野の代表的産業は繰綿(くりわた)と綿作で、綿の集散地としても栄え、明治時代には綿業の町に発展いったそうです。昭和61年7月、コミュニティ協会の設立10周年を記念し、募集により決まったようです。
わたはアオイ科の1年草で高さは60cm~1mぐらい。花は7月下旬から8月下旬頃まで順次開花します。色は黄色が多く、白・紅色などもあります。開花後1ヵ月位で朔(さく)とよばれる実ができ、8月中旬頃から実がはじけ、白いわた毛があふれてきます。
時々この綿毛ができているのを見かけることがありますが、アオイ科だったとは・・・花が咲いてても、オクラだと思っていたかも(^^;
大阪市内ぐらいは自分の足で貰って歩きたい。と思ってたけど、、、小型印をもらうのに時間が無かったため、郵頼してしまいました・・・
〒029-4102
岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関36
使用開始年月日:2012年(平成24年)11月30日
中尊寺金色堂の覆屋 八百年目に開化したハスの花
中尊寺は、後三年の役という戦乱を制し、奥州(東北)の支配者となった藤原清衡が、戦乱が無いように、そして高い文化がこの地に根付くようにと願い1105(長治2)年に創建しました。(2011年(平成23年)6月26日、「平泉―仏国土(浄土)を 表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産の一つとして世界遺産に登録されている。)
その中でも特に有名な金色堂は1124年(天治元年)藤原清衡が極楽浄土を具体的に表現して工芸技術を集約して建立したもの。
図案にある覆屋の中のさらにガラスケースの中に金色堂はあります。
現在の覆屋は1965年に建てられた鉄筋コンクリート造のもの。
様式的に室町時代の建築と考えられている木造の旧覆堂(重要文化財)は金色堂の北西に移築されている。1951年(昭和26年)国宝に指定。
ハスに関しては1950年、金色堂内に納められている藤原氏のミイラを調査した所、四代泰衡の首桶に納められていた100個あまりのハスの種が発見され、ハスの権威であった大賀一郎氏に種が託されたが、発芽は成功せず、その後、1995年に大賀氏の弟子にあたる長島時子が発芽を成功させた。そして2000年には花が開花するに至ったそうです。
どのようにして800年も前の種を発芽させたのでしょうか・・・浪漫のある話です!
2年前に中尊寺を訪れた際、ガイドの方からもお話を伺いました。
郵友のTさんが郵頼する機会があったので・・・と私の分もお願いして下さいました。
中尊寺とおなじ平泉地区にある世界遺産毛越寺の案内も添付して下さってました。
中尊寺を訪れた際、毛越寺にも行きました。風景印は貰ってなかったので、とても嬉しいお葉書でした。
毛越寺は風景印がないようですねぇ。。。残念。