「岩手県」タグアーカイブ

岩手 岩手県庁内郵便局 風景印

〒020-0023
岩手県盛岡市内丸10-1

使用開始年月日:1992年(平成4年)8月1日
岩手県庁庁舎 県鳥・キジ 石割桜 岩手山

石割桜は、エドヒガンという品種で、盛岡地方裁判所の構内にある巨大な花崗岩の割れ目から育った直径約1.35m、樹齢360年を越える桜のことです。
国指定天然記念物で、4月中頃に開花するそうです。

県庁舎は1965年4月(昭和40年)に落成。
知事局棟(地下1階、地上12階、塔屋3階)と議会棟(地上2階、一部3階)の2棟から構成されている。
庁舎は建築当時、東北で1番、全国でも2番目の高さのマンモス庁舎だったそうです。
庁舎を高層化することにより、限られた面積を将来にわたって有効に活用するために工夫されたもなのだとか。

Tさんより🌸のお便りを頂戴しました。ありがとうございます!
二重押印になってしまっているのが残念ですが・・・

岩手 伊手郵便局 風景印

〒023-1761
岩手県奥州市江刺区伊手八幡55-4

使用開始年月日:1986年(昭和61年)5月1日
蘇民祭 阿原山高原

蘇民祭(そみんさい)は、岩手県を中心に日本各地に伝わる裸祭りです。1000年以上の歴史を持つと言われています。岩手県内では毎年1月から3月にかけて複数の蘇民祭が行われますが、中でも一番有名なのが日本三大奇祭(裸祭)に数えられていてる黒石寺(こくせきじ)蘇民祭だそうです。
病気平癒・五穀豊穣を願います。神仏の前では生まれたままの姿で立つという思想に由来して裸で祭りを行うそうです。

気温が零下になる中ふんどし一丁で氷の張った池に入り身を清める「裸参り」や燃えさかる炎の上で気勢を上げる「柴燈木登り(ひたきのぼり)」、護符と縁起物の麻袋を集団で奪い合う「蘇民袋争奪戦」などの行事が一晩中行なわれるそうです。

ハードすぎる内容ですね。。。(-_-;)

旧暦の正月7日~8日にかけて行われます。2017年は2月3日の夜10時から4日の明け方まで行われました。

Tさんより頂戴しました!いつも時候にあった風景印をいただいております。ありがとうございます!

岩手 北上駅前郵便局 風景印

〒024-0061
岩手県北上市大通り1-2-18

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使用開始年月日:1987年(昭和62年)年7月1日
サクラとツツジの名所・展勝地  北上夜曲の碑

展勝地は北上川沿岸にある公園で、どちらかというと桜の方が有名なようです。。。
こちらの桜は1920年(大正9年)に行われた桜の植栽事業で植えられたもので、現在、敷地約2万9,300平方メートルに、約1万本の桜と10万株のツツジがあるそうです。
1990年(平成2年)日本さくらの会より日本さくら名所100選に認定され、青森県の弘前、秋田県の角館と並んで「みちのく三大桜名所」のひとつに数えられています。

北上夜曲は、1940(昭和15)年、当時18歳で水沢農学校の生徒だった菊池規(きくち のりみ/江刺出身/1923~1990)が作詞し、翌年、その友人で当時17歳の旧制八戸中学の学生、安藤睦夫(種市出身/1924~)が作曲しました。戦後、学生などの間で作者不詳の愛唱歌として歌われていましたが、歌声喫茶での流行に目をつけた各レコード会社が、和田弘とマヒナスターズ、ダークダックス、菅原都々子などの歌によりレコード化し、いずれも大ヒット、また複数の映画会社によって映画化もされ、一大ブームとなりました。

展勝地内に北上夜曲の碑があるそうです。歌碑は昭和49年に建立され、一度移転され、展勝地レストハウス南側に今はあるそうです。
全国でも珍しいと言われている作者直筆による歌詞と五線譜が刻まれているのだとか。

岩手の国体会場へ行かれたTさんがわんこ兄弟のカードで送ってくださいました。いつもタイムリーなものをお送りいただいてありがとうございます!

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今年は小型印がでなくて残念です。。。

自分が訪れた岩手のアンテナショップでお買い物をしたら、ステッカーと缶バッジを貰いました(^^)

 

岩手 盛岡駅前郵便局 風景印

〒020-0034
岩手県盛岡市盛岡駅前通10-12

盛岡駅前

使用開始年月日:1994年(平成6年)5月20日
岩手山 開運橋 盛岡駅

岩手山(いわてさん)は日本の東北地方、奥羽山脈北部にあり二つの外輪山からなる標高2,038mの複成火山です。岩手県の最高峰で、県のシンボルの一つとされているそうです。日本百名山に選定されています。

開運橋は、1890年(明治23年)の盛岡駅開業に伴い、当時の岩手県知事石井省一さんが私費で完成させたもので、その後そのまま管理者になられたそうです。翌年市が買収するまでは通行1回1銭の橋銭が徴収されていたのだとか。
現在の橋は、1953年(昭和28年)にかけられたものだそうです。橋長は82.25m。トラス橋にアーチ構造を用いて補強した下路ランガー形式(支間60m)1連を主たる構造とし、支間10mのコンクリート桁を2連組み合わせた構造となっているそうです。

Tさんより頂戴しました。岩手の新しいフォルムカード、「冷麺」で送ってくださいました(^^)力を入れて集めているわけではないですが、こんな変わったものがポストに入っていると嬉しいです(^^)ありがとうございます!

岩手 中尊寺簡易郵便局 風景印

〒029-4102
岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関36

中尊寺

使用開始年月日:2012年(平成24年)11月30日
中尊寺金色堂の覆屋 八百年目に開化したハスの花

金色堂

中尊寺は、後三年の役という戦乱を制し、奥州(東北)の支配者となった藤原清衡が、戦乱が無いように、そして高い文化がこの地に根付くようにと願い1105(長治2)年に創建しました。(2011年(平成23年)6月26日、「平泉―仏国土(浄土)を 表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産の一つとして世界遺産に登録されている。)

その中でも特に有名な金色堂は1124年(天治元年)藤原清衡が極楽浄土を具体的に表現して工芸技術を集約して建立したもの。

図案にある覆屋の中のさらにガラスケースの中に金色堂はあります。
現在の覆屋は1965年に建てられた鉄筋コンクリート造のもの。
様式的に室町時代の建築と考えられている木造の旧覆堂(重要文化財)は金色堂の北西に移築されている。1951年(昭和26年)国宝に指定。

ハスに関しては1950年、金色堂内に納められている藤原氏のミイラを調査した所、四代泰衡の首桶に納められていた100個あまりのハスの種が発見され、ハスの権威であった大賀一郎氏に種が託されたが、発芽は成功せず、その後、1995年に大賀氏の弟子にあたる長島時子が発芽を成功させた。そして2000年には花が開花するに至ったそうです。

どのようにして800年も前の種を発芽させたのでしょうか・・・浪漫のある話です!

2年前に中尊寺を訪れた際、ガイドの方からもお話を伺いました。

中尊寺-2 中尊寺-3

郵友のTさんが郵頼する機会があったので・・・と私の分もお願いして下さいました。
中尊寺とおなじ平泉地区にある世界遺産毛越寺の案内も添付して下さってました。

中尊寺を訪れた際、毛越寺にも行きました。風景印は貰ってなかったので、とても嬉しいお葉書でした。
毛越寺は風景印がないようですねぇ。。。残念。