「餅つき」タグアーカイブ

埼玉 川越南大塚駅前郵便局 風景印

〒350-1165
埼玉県川越市南台2丁目1-19

川越南大塚駅前

使用開始年月日:1999年(平成11年)8月5日
南大塚もちつき踊り 時の鐘 西武新宿線 南大塚駅 サツマイモ

餅つき踊りというのは、1つの臼を数人で囲み、踊りながら餅をつく芸能です。
南大塚の餅つき踊りは、幕末の安政年間に始まったといわれ、以後大正時代までは子どもの「帯解きの祝い」に行われてきました。長男・長女の7歳の祝いに、その家では「餅つき連中」に餅つき踊りを頼みます。餅つき踊りは、頼まれた家の庭で餅をつきながら踊り「引き擦り餅」といって臼を引き摺り途中でも餅をつきながら、鎮守の菅原神社に参詣したんだそうです。
しかし当時はどの家でも「帯解き」を祝えたわけではなく、ましてや持ちつき踊りを依頼するようなことは、「お大尽」と呼ばれるような裕福な家でしかできなかったそうです。 大正末期から第二次世界大戦頃にかけては中断してしまいましたが、戦後再開され、その後は南大塚全体の祭りとして実施するようになったそうです。
現在では、餅をつく場所が個人の家から西福寺境内に代わっています。
出来上がったお餅は見物に来たお客さんにもふるまわれるそうです。
毎年1月に行われているようです。

餅つきシリーズ3つ目です(^^)

川越南大塚駅前 ねずみ切手

「ねずみの浄土」の切手を見つけたので、こちらにも押印してもらいました(^^)

福井 丸岡横地郵便局 風景印

〒910-0374
福井県坂井市丸岡町北横地15-1

丸岡横地

表子(ひょうこ)の米 たけくらべ山の遠景

応神天皇、神功皇后と継体天皇の皇女円弥媛(まるやひめ  日本で最も古いといわれる十郷用水を開削した)を祀る布久漏(ふくろ)神社で行われ、当地を流れる十郷用水の水の恵に感謝し、五穀豊穣を願う意味がこめられているそうです。
祭前の宵に、地区の若者数十名が公民館に集まり、太鼓の囃子にあわせて歌いながら肩を組み押し合いをする。
この行事を「おだしより」といい、昔は各家を廻っていたそうです。 続いて、各家が奉納したお初穂米を臼に入れ、米つきが始まります。
米は清水でとぎ、セイロで蒸し神前に供え、残りを「表児の米」と呼ぶ団子に丸め、参詣の人に箕に入れてまく。
翌日早朝には、表児の米を箕に入れて村中を廻り、各家では一升枡でこれを受け、神仏に供えた後に家内一同でこれを食べるんだそうです。

丈競山(たけくらべやま)は北峰(964.3m)と南峰(1,045m)の2峰からなる双耳峰です。名前の通り、双方の山が背を比べているようだからというのが名前の由来だそうです。

埼玉 東松山平野郵便局 風景印

〒355-0004
埼玉県東松山市沢口町30-6

東松山平野

使用開始年月日:2001年(平成13年)12月14日
ひきずり餅 ボタン
外枠 梨

江戸時代、武家や大店(おおだな)などでは自分のところで年始の餅をついていましたが、町人の場合は道具を家に持ち合わせていないので、“餅つき屋”を自宅に招いて餅をついてもらうことも多かったようです。これらを「引きずり餅」と呼び、4、5人でチームを組んで釜、臼、杵など餅つきの道具一式を引きずり歩いて家々を周り、注文のあった家の前で威勢よく餅をついていたそうです。
威勢よく餅をつく姿は活気があっていいということで結構な需要があったのだとか。

東松山には牡丹の名所があります。日本三大稲荷と言われることもある箭弓稲荷神社(やきゅういなり)と東松山牡丹園です。

東松山平野-1

2016年の年賀状のデザインを見たとき、焼いている餅が「申」の文字になっていて、面白いデザインだなって思っていて、、、焼きもちなんかが風景印になってるところはないかなぁと思ったのですが、あいにくなさそうだったので、「餅つき」をしている風景を図案にしているところのものを貰ってみることにしました。