「滋賀県」タグアーカイブ

滋賀 武佐郵便局 風景印

〒523-0012
滋賀県近江八幡市武佐町720

使用開始年月日:1993(平成5)年7月1日
本陣跡 ムシャリンドウ 花ノ木 瓶割山

中山道宿場、武佐宿があったところです。今でもその風情が残っています。

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郵便局のある位置がちょうど宿場町の中間地点ぐらいで、武佐宿本陣(下川家)にだったそうです。往時を思わせるポストが設置されています。
すぐ隣に門構えだけが残っていたらしいのですが、、、雨が降っていたこともあり、気が付かずにスルーしてしまいました。
その門構えが本陣跡に当たります。

150mほど離れた場所に武佐町会館があり、その前でムシャリンドウが花を咲かせていました。

ムシャリンドウは絶滅危惧種に指定されているシソ科の多年草です。武佐町で発見され、花がリンドウに似ていることから名付けられたとか。。。

実はこの会館は脇本陣跡(奥村家)なんだそうです。

敷地内には敷地内に入ると馬頭観音碑が建っています。
街道を往来する馬の安全を願い伝馬組合が建てたそうです。

長光寺のハナノキは高さ約15メートル、周囲約3メートルの巨木で、大正11年に近江八幡市の天然記念物に指定されました。

花ノ木は長光寺(武佐局から10分ぐらい??)にある日本最南限のもので、聖徳太子が植えられたという伝説の木だそうです。大正11年に近江八幡市の天然記念物に指定されています。

滋賀 近江八幡沖島郵便局 風景印

〒523-0801
滋賀県近江八幡市沖島町202

使用開始年月日:2000(平成12)年9月1日
琵琶湖に浮かぶ沖島 鴨 漁船

湖に浮かぶ唯一の有人島の、沖島郵便局へ行ってきました。
湖に浮かぶ島は他にも大根島(島根県)とかありますが、架橋されています。沖島は船でしか行くことができません。

近江八幡、堀切港から島へ渡ります。

10分ほどで到着です。

島には自動車はありません。信号機もありません。
約300人の方がこの島で暮らしておられるとのこと。

移動手段の多くはこの三輪自転車だとか。
この日はあいにくの雨模様。サドルが濡れるのを防止するにはおかきの空き缶を利用するのが沖島流の模様( *´艸`)

郵便局は路地の奥にひっそりありました。

風景印の図案の船は通船かなと思いましたが、何やら高い櫓に人が乗っている模様。
何をするものなのかと港の漁協の方に尋ねると、鮎漁の船だということでした。
鮎は引き網漁で獲るのですが、その鮎を外すのに、櫓に網をひっかけて振り落とすのだそうです。
風景印の櫓は一つですが、多くは船の上に2つあり、二人で網を引っ張り合うのだと教えてもらいました。

湖に浮かぶ島なんですから、琵琶湖が綺麗に見えるはずですが、、、あいにくの雨でこんな景色(-_-;)

漁協の方にお願いして作っていただいた地産地消のお弁当は大変美味しかったです。

郵便局でお買い物をして頂いた沖島のポストカード。
早速そちらに風景印を押印してもらいました。

滋賀 長浜元浜郵便局 風景印

〒526-0059
滋賀県長浜市元浜町24-21

使用開始年月日:1994(平成6)年4月8日
曳山まつり 町並み

長浜の曳山まつりは京都の祇園祭、高山市の高山祭と並んで日本三大山車祭の一つとされており、国の重要無形民俗文化財に指定されています。毎年4月15日を中心とした長浜八幡宮の春の例祭に行われます。
安土桃山時代、長浜城主の羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に初めての男の子が生まれました。喜んだ秀吉は城下の人々に金(きん)を振る舞い、町民がこれをもとに12台の山車を作って八幡宮の祭礼に曳き回したのが始まりといわれています。

お友達が観光で訪れた際、お土産に貰って来たくれたものです。バスツアーで時間がタイトなはずなのに、、、ありがたやー(;´▽`A“

外観の写真まで送ってくれました。最近局舎が新しくなった??
どうやら、こちらは宝印の様子。いつか自分も足を運んでみたいと思います。

滋賀 大津中央郵便局 風景印

〒520-8799
滋賀県大津市打出浜1-4

使用開始年月日:1987年(昭和62年)7月1日
竹生島 瀬田の唐橋 鮒 鮎 大津絵

竹生島(ちくぶしま)は琵琶湖の北部に浮かぶ島です。琵琶湖国定公園特別保護地区、国の名勝および史跡に指定されています。

瀬田の唐橋は瀬田川にかかる全長260mの橋です。
京都の宇治橋、山崎橋とならんで日本三名橋・日本三大橋の一つとされています。
架橋された年ははっきりわかってないそうですが、平安時代より以前からあったようです。

大津絵は、江戸時代に大津・大谷・追分周辺で、土産物として人気のあった絵画です。
教訓や縁起などが画題になり、文化・文政期(1804~1830年)頃に「大津絵十種」が定着しました。藤を手に持っている姿が描かれているので「藤娘」なのだと思います。
「藤娘」は、良縁の護符でした。

ハガキが52円で送れる最後の日に訪問。局の方は絵まで描いて押す場所を確認し押印して下さいました。(何故だか鼻歌まじりでしたが・・・(;^_^A)

滋賀 堅田郵便局 風景印

〒520-0299
滋賀県大津市今堅田2-21-26

かたたゆうびんきょく
使用開始年月日:1997年(平成9年)4月7日
満月寺浮御堂 琵琶湖大橋

浮御堂は臨済宗大徳寺派海門山満月寺にある、湖上に突き出た仏堂です。近江八景「堅田の落雁」で有名です。

天台宗の高僧、恵心僧都源信が比叡山より琵琶湖を見下ろして、平安時代の長徳年間(995~999)にこの地に一宇(一棟の建物)を建立し、一千体の阿弥陀仏を刻み「千仏閣」「千体仏堂」と称して湖上安全と衆生済度を祈願したのが浮御堂の始まりだそうです。

現在の浮御堂は、1937年(昭和12年)に再建されたものです。

琵琶湖大橋は、滋賀県大津市と同県守山市の間で琵琶湖に架かる国道477号の橋です。琵琶湖大橋有料道路の一部として滋賀県道路公社が管理しています。観光の促進を目的として1964年9月28日に開通しました。

2029年には無償化される予定のようですが、今の所、通行料金がかかります。2016年4月から値下げされて、普通車で150円かかります。今も料金は投入れ式なのかな・・・

雨が降っていて、慌てて車に乗って局を出発してしまって、、、写真撮り忘れたなぁ~残念💦

滋賀 志賀小野駅前郵便局 風景印

〒520-0532
滋賀県大津市湖青1-1-26

使用開始年月日:(平成12年)11月10日
唐臼山古墳 びわ湖ローズタウン 琵琶湖

1970年~80年頃にかけて京阪電鉄が開発したのが「びわ湖ローズタウン」です。蔓陀羅山の東と西に広がっています。開発規模は196.1ヘクタールで、計画戸数は5000戸・計画人口は20000人だったそうでうす。

唐臼山古墳は小野水明一丁目の丘陵尾根筋の上(小野妹子公園内)に築かれています。墳丘は流失し、破損した石室が露出しています。
石室は現状で南北5.75m、幅1.5m、高さ1.7mが計測されています。石室内には玉石が敷かれていて、玉石の上に置かれていた須恵器の坏身・坏蓋から7世紀前半頃の築造かと推定されています。伝説では小野妹子を埋葬者とする説があるそうですが、可能性は低いとか・・・
小野妹子の墓でしょうと記述されているものもありますが、、、真偽のほどははっきりしていないようです。

JR小野駅前にあります。局舎がビックリした顔にしか見えません(;’∀’)

滋賀 浜大津郵便局 風景印

〒520-0047
滋賀県大津市浜大津4-1-1(明日都浜大津1階)

使用開始年月日:2012年(平成24年)6月15日
琵琶湖に浮かぶミシガン船

ミシガンは、1982年(昭和57年)4月29日に就航した、びわ湖を代表する遊覧船です。琵琶湖汽船㈱が運営しています。
滋賀県と友好姉妹都市であるアメリカ・ミシガン州との国際親善を祈念して、ミシガンと命名されました。

2012年使用開始と言うのは県名が削除された時を指しています。
もっと前から図案はこのままだったようです。新規使用はいつだったんだろう・・・一度も図案の変更はされてない気がするなぁ~。

ヤオ様より、新規使用は1986年(昭和61年)10月6日で、図案は今と同じたった。ということを教えて頂きました。ヤオ様、ありがとうございます(*^-^*)

滋賀 石山寺郵便局 風景印

〒520-0861
滋賀県大津市石山寺1-3-24

使用開始年月日:1997年(平成9年)9月1日
石山寺の月見亭
外枠 花頭窓の形

石山寺は、大津市にある東寺真言宗の寺です。本尊は如意輪観音、開基は良弁。日本でも有数の観音霊場であり、西国三十三所観音霊場第13番札所となっています。
また、紫式部が参籠して『源氏物語』を書きはじめたという場所でも有名です。

月見亭は保元年間(1156~58)に後白河天皇が行幸の際建立したのが始まりとされ、後年になり何度も修繕されています。現在の建物は江戸時代前期の1687年(貞保4年)に建てられたもので、寄棟、茅葺、四方に下屋庇を廻し、外壁は吹き放し、舞台風に高欄が廻り梁を張り出しそれらを支えて、基礎部は鐘楼などに見られる袴腰になっています。

秋に石山寺に紅葉を見に行ったのに・・・月見亭の写真がない(-_-;)

フレーム切手をお寺の入り口で売っておられたので珍しく買ってみました。
でも、、、局は開いてない日だったので、後日郵頼・・・

切手がずれていて残念・・・

滋賀 浅井郵便局 風景印

〒526-0299
滋賀県長浜市野村町288

あざいゆうびんきょく
使用開始年月日:1975年(昭和50年)8月30日
姉川古戦場から望む伊吹山

小谷(おだに)城主の浅井長政(あざいながまさ)(1545-73)は、織田信長の妹お市の方を夫人にし、織田家と同盟を結んでいましたが、かねて親交のあった越前の朝倉(あさくら)氏を、信長が攻めたことにより信長と長政との間に確執ができました。そしておこったのが姉川の戦い(1570 年)です。織田・徳川連合軍対浅井・朝倉連合軍。
町の南端を流れる姉川の野村橋付近一帯はその戦いで最も激戦が繰り広げられた場所です。

Iさんより頂戴しました。ありがとうございます(^^)