第二次世界大戦の講和条約で、1951年(昭和26年)に署名されたサンフランシスコ講和条約では、沖縄はアメリカ合衆国の施政権下に置かれるものとされ、1952年(昭和27年)4月28日に発効されます。
朝鮮戦争やベトナム戦争、ソ連との冷戦・・・その間にアメリカ軍は施政権の下に各地に半ば力ずくで基地や施設を建設していきます。
またアメリカ軍兵士による悪質な事故、殺人を含む事件が頻発し県民の死傷者も相次ぎます。
このことから、県民はアメリカの施政に落胆し本土復帰を目指す声が高まっていきます。
1969年(昭和44年)に行われた日米首脳会談で、ベトナム戦争終結とアメリカ軍のベトナムからの撤退を公約に掲げ前年の大統領選挙に当選したニクソン大統領が、ベトナム戦争の近年中の終結を考えて、安保延長と引き換えに沖縄返還を約束したが、公選の行政主席や復帰賛成派の県民の期待とは裏腹に、アメリカ軍基地を県内に維持したままの「72年・核抜き・本土並み」の返還が決定し1971年(昭和46年)沖縄返還協定調印、その後1972年(昭和47年)5月15日に日本へ復帰しました。
郵政博物館では戦後1972年まで沖縄で独自に発行された「沖縄切手」コレクションの展示が5月13日、14日で行われました。
その時の小型印です。
偶然、本土復帰記念で発売された20円切手を持っていたため、小型印の使用の発表が随分遅かったor気が付くのが遅かったので準備する時間がほとんどなく、沖縄中央局の風景印を郵頼したものに一緒に押印をお願いしました。
この切手が発売された当時は小型印も配備されていたようです。