2016.9.9訪問
大書院内にありました。書院が閉館後は入り口外に置かれていました。
一緒にこんなスタンプも!
篠山城は、笹山とよばれる小丘陵に築かれた平山城で、1609年(慶長14年)天下普請の城として、徳川家康の命で築城されました。普請奉行には池田輝政、縄張り奉行には藤堂高虎を任命し、京都から山陰、山陽へ通じる要衝の地を守る為、城主には家康の庶子である、松平康重が置かれました。
スタンプのデザインになっている大書院は二の丸跡にあった城主居館の中で、特にに歴代城主による公式行事に使用された場所だったそうです。
この建物は築城時に、京都二条城の御殿を参考にして建てられたと伝えられていて、大きさは東西28メートル、南北26メートルの篠山城最大の規模となっていました。内部には上段の間、孔雀の間などの多くの部屋があり、障壁画で飾られていました。
廃城後もこれだけ残されていましたが、1944年(昭和19年)の失火により失われました。その後、焼失から56年たった2000年(平成12年)3月大書院が蘇りました。
天守台が残っています。天守が建てられることはなかったそう。