〒530-0001
大阪府大阪市北区梅田3-2-4
大阪城 通天閣 堂島川にかかる水晶橋
外枠 北区の花 バラ
こちらが水晶橋。
堂島側にかかる歩行者専用橋です。本来は河川浄化を目的として1929年(昭和4年)に建設された可動堰だった。
この図柄の中で北区に存在するのは水晶橋だけなんですけどね・・・(^^;
特印の押印日と重なっていたため、通常よりも人が多く、やっつけ仕事で印を押しておられましたが・・・印のかかり具合が完璧で恐れ入りました。。。
〒552-0001大阪府大阪市港区波除5丁目7-15
7100形蒸気機関車・義経号 波除山跡碑
外周:JR大阪環状線路線図のイメージ
波除=なみよけ。と読みます。
SLが図柄に入っているのは、2014年4月6日までJR弁天町駅すぐの所に交通科学博物館があり、そこに展示されていたため。
2016年春、京都市下京区の「梅小路蒸気機関車館」跡に「京都鉄道博物館」が開館され、そこで展示される予定。
2016年春に開館した京都鉄道博物館に新たに展示されました。これに伴い、動態復帰している。。。とか。
波除山跡碑は波除山跡 港区弁天5丁目12・弁天東公園内にあります。
小さな公園内にポツンと佇んでいます。
碑文には波除山は貞享元年(1684年)、河村瑞賢が安治川を開いたとき搬出された土砂が丘となり、のち松が植えられ、瑞賢山あるいは波除山で親しまれた。 と書かれているそうです。
碑文は読みにくく、何を書いてあるかよく見えませんでした・・・
安治川開削300年記念の昭和59年(1984)当時の山の一角に顕彰碑が建立されました。
貞享元年(1684)幕府は、淀川下流域の水害の原因となっていた九条島の開削を河村瑞賢に命じる。瑞賢は川の水をまっすぐに海に流すため、九条島の真中に幅50間(約90m)長さ1,600間(約3km)の水路を掘った。それまで新川と呼ばれていた水路は元禄11年(1698)幕府によって安治川と名付けられた。安治の安治は河村瑞賢の諱名(いみな)だと言われているとのこと。川の開削で掘り出された土砂は、川の南岸一帯に積み上げられ、山となった。山の上には松が植えられ、付近を航行する船の目じるしとして親しまれ、「波除山(なみよけやま)」または瑞賢の名を取って「瑞賢山(ずいけんやま)」と呼ばれたそうです。
印は最初若い男性職員さんが押してくれたが、これでいいですか?と少々申し訳なさそうに見せられた印は完全に局の名前がぶれてしまっていたため、名前、ぶれちゃってますねぇ。まぁいいですよ。と言ったのですが、押し直してくれました。押し直す際、局長さんが出てきて、これで自分がミスしたら恥ずかしいな。と言いながら、自ら押してくれました。
〒540-6591
大阪府大阪市中央区大手前1-7-31(マーチャンダイズビル地下階)
大阪マーチャンダイズ・マートビル アクアライナー
川崎橋 桜の輪郭
大阪マーチャンダイズマートビルは天満橋交差点の北東角に位置し、「OMMビル」と呼ぶことが多いです。シカゴにあるマーチャンダイズマートビルがモデルになっているとか。。。
川崎橋は大阪市北区天満と都島区網島町を結ぶ大川に架かる橋。もともと右岸の天満川崎と左岸の備前島を結ぶ「渡し」があった場所。昭和53年、中之島公園と千里万博公園を結ぶ大規模自転車道の一環として架設された自転車・歩行者専用の橋。橋形式は高い塔からケーブルを出し桁を吊った斜張橋で、景観を重視しているらしい。
OMMビル内から見た川崎橋。手前の大きな橋は天満橋。
アクアライナーは大阪城公園~中之島周辺を循環遊覧するクルーズ船。
〒530-0041
大阪府大阪市北区天神橋3-11-1
天神天満ほっとなかよし 夫婦橋
局のすぐ近くにある夫婦橋(復元された欄干のみ)、そのたもとにある「天神天満ほっとなかよし」の像?が図案になっている。
夫婦橋の由来を記した碑が橋のたもとにある。
夫婦橋は、旧天満堀川が天神橋筋と交差する所に架けられていた。
堀川は、当初豊臣秀吉時代の慶長3年(1598)に一部が開削され、その後天保9年(1838)に扇町から東北へ延伸された。夫婦橋はこの堀川の延伸に伴って架けられたものである。
延伸前ここに女夫池という池があった。この名の起こりについては二説あるが、その一説に昔この辺りに仲睦まじい若夫婦が住んでいた。わけあって夫は妻に三年間待ってほしいと言い置いて他国へ出かけた。期限が過ぎても帰って来ないので、妻は思い余って池に身を投げて死んだ。その後夫が戻って来るが妻の死を知り、後を追って入水して果てた。世人これを哀れんで女夫池と呼んだという。v 天満堀川延伸により池は埋められ能勢家の邸と妙見堂が建てられた。
縁日にはこの「夫婦池の妙見さん」は参詣人で大変賑わったという。
夫婦橋は、昭和四年に一径間鋼鈑桁の近代橋に生まれかわった。
戦後堀川は環境が悪化したので埋め立てられることとなり、川筋は阪神高速道路の高架橋の下に入り、この辺り天保9年に開削された処も昭和47年には変面道路となり現在に至っている。 平成11年 大阪市
女夫池、つまり夫婦池は、元々朝来池という池があったところの傍らにもう一つ池を掘って女夫池となる。天保8年(1837)頃堀川に淀川の水を通すため開削し、女夫橋が架けられていたようだ。
橋の現在の姿。
碑にある通り、阪神高速の下にあり、橋はなく残っているのは欄干だけ。欄干も1999年に復元されたものだそうだ。
ほっとなかよしの像についてはなぜここにあるのか、わからずじまい。写真を撮ろうとしたが、、、そこにはお昼寝をしている人が(–;また今度ということで。
なかなか自分で再訪する機会がないのですが、お友達が行ってきたーって写真送ってくれはったんで、外観を掲載してみます(^^)
後日、通りがかる機会がやってきたので写真撮ってみました。
〒552-0004
大阪府大阪市港区夕凪1-2-15
甚兵衛渡、尻無川水門、区花 桜
尻無川は大阪市南西部を流れる淀川水系の下流における分流で一級河川。西区、港区と大正区との境界を成しながら南西に流れ、下流では大正内港を分けて大阪湾南部へ注ぐ。
そこに設置された尻無川水門は高潮を防ぐ働きをもっている。
水都大阪には数多くの河川があり、人々の通航の為、古くから各所に渡船がありました。現在、橋が架けられたり、道路が整備されたりして数は減りましたが、大型船の航行などがあり、橋をかけられない場所等の8カ所に渡船場があります。
甚兵衛渡は尻無川を渡る渡船場で、大正区泉尾7丁目と港区福崎1丁目を結んでいます。川幅の距離は94m。1分で対岸へ到着する。
しかし、ラッシュ時は2隻の船が随時運航していて(昼間は15分間隔)大阪渡船の中では最も利用者数が多く、一日平均約1500人程度の利用があります。
昔甚兵衛さんという人が設けた渡船が始まりで、今でも渡船場の名前として残されている。
ほんとにすぐ目の前に見えているのだけど、、、対岸に行くにはかなりの大回りが必要。。。
この渡船があるのとないのとでは大違い。道路の一部としてみなされているので無料で乗船できます。
局は2年前に移転してきたらしい。まだ新しさが残っていた。局員さんは風景印をあまり押したことがないのか、何度も試し押しをして、緊張するなぁ。。。と言いながら一生懸命押してくれました。一生懸命すぎて、ブレましたが(^^;