明石市立天文科学館 スタンプ

明石市立天文科学館

2016.8.19訪問

1960年(昭和35年)開館。現存する天文科学館の中では日本で最初に竣工された科学館だそうです。一番館の玄関横に通る子午線上に漏刻が設置され、また「JSTM」(Japan Standard Time Meridian=日本標準時子午線)と表示された時計塔があります。この塔には、日本標準時子午線を示す標柱の役割も果たしています。

1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災では館が被害を受けたそうですが、3年の月日を費やし、1998年(平成10年)3月15日に新装開館しています。

唯一地震の被害を受けなかったのが、カール・ツァイス・イエナ(旧東ドイツ)社のプラネタリウムです。稼働期間が日本一なんだとか。

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山陽電鉄 人丸前駅を降りたホームより。時計塔がすぐに目に入ります。

全国プラ「レア」リウム33箇所巡り 明石市立天文科学館 スタンプ

プラレアリウム 明石

全国にある「レア」なプラネタリウムを巡るスタンプラリーの1つです。科学館を訪れて偶然知りました。
スタンプラリーに必要なガイドブックは有料ですが、どんなレアなプラネタリウムがあるのか気になったので全部行けませんが、購入しました。

プラレアリウムガイドブック

期間は2015年5月から3年3か月です(^^;

明石市立天文科学館のプラネタリウムのレアな所は、、、引退したプラネタリウムを含めても稼働期間が日本一、国内で稼働している唯一の旧東ドイツ製のプラネタリウムなどが挙げられていました。

 

和歌山城登閣記念 スタンプ

和歌山城登閣記念

和歌山城へ行ってこられたIさんが送ってくださいました。

和歌山城の登閣記念スタンプは日付が入っているんですね。
風景印みたいに入れ替えるのか、、、ダイアルのように回して日を変えるのか・・・どういう仕組みになっているのかわからないのですが日付が入っているのはいいなぁと思います。

和歌山城、まだ行ったことないので、嬉しいです(^^)
ありがとうございます!

JR西日本 きのくに線 海南駅 スタンプ

海南駅
2016.8

1994年(平成6年)に開催された世界リゾート博に合わせて作られた人工島、和歌山マリーナシティが描かれています。
地中海をイメージしたテーマパークのポルトヨーロッパ、マグロの解体ショーが有名な黒潮市場や釣り堀、リゾートホテルなど様々な施設があります。

mt school和歌山に行ってこられたIさんよりいただきました。mt school奈良も行かれてましたし、、、行きたいなと思いつつも関西ながらなかなか遠いし・・・と思って尻込みしていた私とは大違いで・・・貴重なものをありがとうございます。

海南駅ではもう1種類駅のスタンプがあるそうです。
駅でお願いしたら出してきてくださったようで・・・

海南-1

山々の 木々のさかえを木の国の 栄とまもる いたきその神
本居太平

と書いてあるようです。

和歌山市にある伊太祁曽(いたきそ)神社に石碑があるとか。
貴志川線の駅伊太祈曽駅が最寄りの駅のようなのですが、、、なぜ海南駅のスタンプなのか・・・海南市にある藤白神社と何か関係があるとか?
そこまではわかりませんでした。。。

本居太平

後日、Iさんよりさらに和歌山からのお葉書をいただきました。
なんと、そこには本居太平(おおひら)さん(右)が描かれておりました。(左は本居宣長)

遅ればせながら本居太平さんについて調べてみました。。。江戸時代後期の国学者で松坂市出身。13歳で本居宣長の門に入り、1799年(寛政11年)宣長の養子となる。宣長の祖述につとめ、宣長の実子・本居春庭の失明後は家督を継いだそうです。紀州徳川家に仕え、侍講などをつとめられたとか。。。

それで本居という名前だったのか・・・

Iさん素敵なお葉書をありがとうございます!勉強になります!(^^;

石川 那谷郵便局 風景印

〒923-0336
石川県小松市那谷町サ3

石川那谷

使用開始年月日:1951年(昭和26年)1月1日
重文・那谷寺本殿 秋のもみじ 石段 灯籠

那谷(なた)寺は小松市にある高野山真言宗の別格本山です。
寺伝によれば、717年(養老元年)泰澄法師が、越前国江沼郡に千手観音を安置したのが始まりとされています。その後986年(寛和2年)花山法皇が行幸の折り岩窟で輝く観音三十三身の姿を感じ、求る観音霊場三十三カ所はすべてこの山に凝縮されるとして、西国三十三観音の一番「那智」と三十三番「谷汲」の山号から一字ずつを取り「自主山厳屋寺」から「那谷寺」へと改名したそうです。

那谷寺

本殿は「大悲閣」と呼ばれ、岩壁に寄って屋根を造らず唐木造、向拝、柿葺となり、四方の欄間に山上善右衛門作の透かし彫りが施されているそうです。

昨年Uちゃんからもらっていたのですが(ってそればっかり・・・)丸1年越しになってしまってごめんなさい。

灯籠はこの少し手前にあるようです。

石川 安宅郵便局 風景印

〒923-0003
石川県小松市安宅町ワ103-1

石川安宅

使用開始年月日:2000年(平成12年)6月10日
勧進帳 安宅の関の場を図案化したもの
外枠 勧進帳の巻物

安宅の関(あたかのせき)は、小松市の日本海側にある安宅に守護、富樫氏が設けたと言われる関所。(所説あるようで、関所があったかどうかははっきりしていないそうですが)
如意の渡しでのエピソードを元にした、源義経が武蔵坊弁慶らとともに奥州藤原氏の本拠地平泉を目指して通りかかり弁慶が偽りの勧進帳を読み義経だと見破りはしたものの関守・富樫泰家の同情で通過出来たという、歌舞伎の「勧進帳」で有名。

小松市にある安宅住吉神社には弁慶・富樫・義経の銅像があります。

安宅の関

「智仁勇」というのは弁慶の知恵、富樫の情、義経の勇気を表したものだそうです。

最初、像は弁慶と富樫氏の2体だけだったようです。(前の風景印(1984年3月23日~2000年6月9日)には富樫氏と弁慶の二人だけが描かれていました)
1995年に義経像が加わり、「智仁勇」を表す形になったのがきっかけだったのか、意匠変更がなされ、現在の風景印となっているようです。

風景印は去年Uちゃんがもらってきてくれたもので。それだけでもありがたいのに、安宅の関の写真を今年撮影してくれたのです。慌ただしい中、覚えていて、写真撮ってきてくれたことに感謝。

NEXCO中日本 北陸自動車道 賤ヶ岳SA(上り) スタンプ

賤ヶ岳(上り)

国宝・十一面観世音菩薩像がデザインです。

この菩薩様は滋賀県長浜市高月町にある向源寺という真宗大谷派の寺院に属する渡岸寺(どうがんじ)観音堂に安置されています。

平安初期に作られたと考えられているそうです。
戦国時代に浅井・織田両軍の戦いで、寺は焼失しましたが,本尊の十一面観音立像は土中に埋められて災禍を免れたのだとか。

東京 台東根岸三郵便局 風景印

〒110-0003
東京都台東区根岸3-2-10

台東根岸三
使用開始年月日:1968年(昭和43年)5月1日
入谷鬼子母神 アサガオ

こちらもUさんより頂戴しました。図案は台東入谷局と同じです。

台東根岸三-1

こちらもフレーム切手で!素敵すぎるマッチングです。
暑い中、ありがとうございます!

自分が育てた大輪朝顔は大輪にはならず、普通のアサガオぐらいの大きさにしかならず、残念でした。来年は大き目の行灯で育ててみようかな。

東京 台東入谷郵便局 風景印

〒110-0013
東京都台東区入谷1丁目17-2(橋本ビル1階)

台東入谷
使用開始年月日:1968年(昭和43)年5月1日
入谷鬼子母神 アサガオ

朝顔まつり(朝顔市)は毎年7月の6日~8日までの三日間開催されています。今年で68年目だったそうです。
この朝顔市は、入谷鬼子母神を中心として、言問通りに百二十軒の朝顔業者と百軒の露店(縁日)が並び、毎年40万人の人出で賑わうそうです。

 この入谷の朝顔が有名になったのは江戸末期の文化・文政の頃。最初は御徒町の下級武士、御徒目付の間で盛んに栽培されていたのが、御徒町の発展と江戸幕府の崩壊に伴い、入谷の十数件の植木屋が造るようになります。そしてその出来栄えが大変素晴らしかったので、明治中期になり、往来止めをしたり、木戸銭を取って見せるほど有名になったそうです。
入谷田圃の土が朝顔造りに適していたことや、当時流行した桔梗の花や牡丹の花のよう咲いたり、二重に咲いたりする朝顔「変わり咲き」が入谷の朝顔を有名にしたそうです。最盛期には一千種類もの朝顔があったとか。

台東入谷-1

Uさんより頂きました。なんとフレーム切手で!
朝顔市で郵便局の臨時出張があり、フレーム切手が売られていたとか・・・

高価な切手と合わせて頂いて・・・ほんとにありがとうございます。

今年、自宅で大輪朝顔というのを育ててました。それを見ていたかのように朝顔の風景印・・・嬉しかったです(^^)自宅の朝顔は大輪にはなりませんでしたが、可愛い花を咲かせてくれています。